松崎堂跡の、上竹田・井原・笠岡わかれの一角が大幅に広げられ、
松崎ロータリーと呼ぶにふさわしい景観である。
この拡幅工事、正式呼称は『県道平野笠岡線改良工事』と言い、坪生境までの竹田側は、
六十二年末で終了している。坪生側、
馬場池沿いの神森神社山林九十m(平成元年度予算分)の土砂削り取りもすでに終わり、
落石防止のモルタル吹きつけと道路舗装を残すのみとなっている。
この道路、幅七mの二車線に、歩道二mの計九mという画期的なもので、
すでに完成している松崎ロータリーとの接続は、予算の都合で二年ぐらい先とか。
まだまだ多い坪生のネックが、ゆっくりと解消に向かっている。
用水路の三面側溝コンクリート化のせいか、行き届いた農薬のせいか、
近年すっかり見られなくなったのが、ホタルの輝きである。
ところが、ホタルにとっての生存条件に恵まれているのか、この一、二年、
坪生町西池平の殿迫池排水口周辺に、多く見られるという。
坪生町に接している神辺町上竹田の内砂子池周辺の群生は、知る人ぞ知るであったが、
身近かな群発はうれしいニュースである。
今年は何個、いのちの輝きが見られるだろうか。夏の一夜、あえて夜道を歩くのも悪くない。
坪生地内には、標識板、説明板が合わせて一〇三本立てられている。
うち二八本の説明板も、大分傷んできた。設置後六年を経た昨年は、合板の表面がめくれたりして、
説明文を書き換えたカラートタンを、上から貼って急場をしのいだ。
新たな追加(伝唐人墓、紙屋堂跡、葉座のサエの神、馬鞍山の雨乞いの場など四ヵ所)設置を機に、
鉄製高熱塗装(コゲ茶色)の試作品が出来てきた。
ずっしりと重く、見るからに堅牢で、これなら十年はじゅうぶん平気と言えそうだが、
一本なんと二万八千円。初代が一万円だったのに較べると、いかにも高価な三代目である。
引き続く要取替分をどうするか、思案中である。
平成二年一月一日の馬鞍山山頂では、恒例の初日の出を拝もうと、
二百人に達する人たちで賑わった。
江戸野地区の人たちの奉仕で、前日から草刈りなど準備怠りなく、当日は鉄塔近くで、
まだ真っ暗やみの六時ごろから火をたいて待ち受けてくれるありがたさ。
次第に東の空が明るくなり、昨年と打ってかわった好天気に胸がはずむ。
7時10分頃から、町連会長の森川昭氏の音頭で市民憲章を高らかに唱え、
次いで明るい町づくり運動坪生学区委員長の掛谷良彦氏の挨拶、
そして藤原正さんのタクトで『一月一日』を合唱した。
7時18分頃、初日礼拝。キラキラ輝く初日のもと、煮しめやお菓子、みかん、
そしてお酒の接待など、至れりつくせりのひとときであった。
当研究会員、内山道子さん(坪生龍短歌会代表)が、
昭和二十二年から現在までの四十三年間に及ぶ、半世記或は戦後女性史ともいうべき、
歌集を発刊された。
淡いブルーの表紙に、元会員の書家小倉宏得さんによる端麗な標題文字がよく似合う。
207ページに五〇〇首が収めてあり、発行所は東京の潮汐社。
一冊2,500円の定価だが、すでに残部なしとか。坪生の地から、
大きく世に踏み出した内山さん、おめでとう。
東京会場を上回る、八万七千人の入場者でわいた藤ノ木古墳特別展。
福山の新名所となった福山城文化ゾーンは、いま静けさを取り戻したかのようである。
葦陽高校移転前とは様変わりした一帯の光景は、文化都市への成長と誇りを示している。
注文したいことはまだまだあるが、まずは褒めそやし、繁く足を運んで、育てていきたいものである。
その県立博物館で、「広島県の中世遺跡」部門展が始まった(2/17〜4/15)。
坪生の「大塚土居前遺跡」(山陽自動車道大塚橋の所)から出土した土鍋、銅鏡、
古銭が展示された。七年ぶりの再会である。
何とか借り受けて、短期間でも地元で展示できないものか。二枚組みのパネル写真と、
めぐり合わせてやりたい。