ご存知ですか、サクラの名所

 四月上旬サクラの花咲く頃、坪生の西端、いつくしまさんの東側山すそが、見事に輝いて見えた。
 大場池から水路の土手に植えられた、十五本のサクラが一斉に満開、 道ゆくクルマもスピードを落として、首をねじ曲げて眺める風景が見られた。
 このサクラ、昭和四十年ごろ植えられたもので、 当時の西池平の小宮総代五人(掛谷二郎さん、橋本薫さん、神原宏和さん、石田進さん、 桑田守さん)の人たちが、植樹したという。
 池平荒神さん、いつくしまさんにも同じころ植えたが、日照の加減か、育たなかったようだ。
 桑田守さんを除く四人が、はや故人となられたが、遺志はりっぱに花開き、 坪生の名所の一つに育った。

鯉のぼり、十三流

 坪生町大塚の、坪生保育所(掛谷安雄園長、園児四十五人)入り口上空に、 鯉のぼり十三尾が楽しそうに泳いでいる。
 「昨年の今ごろ、保護者が持ち寄ったものを工夫しました。 ナイロン製なので雨には強いんですが、長持ちさせるためには、朝夕片付けをキチンとしています。 もっぱら父(掛谷栄三理事長)の仕事です。風のある日は巻きついたり、 いろいろと苦労があるようです」と、掛谷安雄園長。
 既設のアマ無線用のアンテナと、わざわざ立てた高さ十七メートルの電柱の間は四十五メートル。 そこにロープを張って、十四メートルの高さまで揚げるという、大変な作業である。
 「よう聞いてくれちゃった。鯉のぼりいうなァ、六メートルもあるんで。 それを三メートル間隔で十三尾。体重ぜーんぶかけて引っ張り揚げようります」
 四月初めから五月の連休明けまでの1ヵ月間、のどかな風景を、ありがとう。

江戸時代なら、米騒動

 平成二年の新米事情は、最悪だったという。一般に普及している『中生新千本』という品種が、 なぜか青枯れ脱水症状を起こし、至る所で立ち枯れが見られた。
 備後地方では、平均二〜三割の収穫、ひどい所では一割そこそこというありさまだったという。
 福山市農協管内で唯一といわれるお米の乾燥・もみすり工場『ミニ・ライスセンター』 を営む掛谷常雄氏の話では、「この中生新千本は、昭和五十年代にはいって普及しだしたもので、 株張りが多く背丈の短い改良南方型」という。
 因みに、大不作で稼働率も悪かったのでは、と心配すると、 「とんでもにやァ。自分ンとこで処理できんようになって持ち込んで来たりで、 十月初めから十一月いっぱい、二ヵ月で八〇〇石、 反別じゃったら二十五町分片付けゃんしたでー」と、意気軒昂である。
 今の時代、深刻さもなかばだが、江戸時代なら、間違いなく米騒動になったろう。

一〜五丁目、誕生

 坪生地内に、一丁目から五丁目までが誕生した。昨年十一月一日の広報で発表されたもので、 「坪生土地区画整理事業」地内に適用された。
図面をみると
一丁目は、坪生小から葉座地区、坪生大橋にかけての高速道南側一帯
二丁目は、的面橋からカケヤ薬局にかけての高速道北側一帯
三丁目は、ひばりケ丘一帯
四丁目は、ガソリンスタンドから坪生保育所の一帯
五丁目は、東池平瀬戸地区一帯 ――となっている。
 歴史的呼称ともいうべき字名(あざな)をやめ、 番地制にしたいという行政(都市計画、郵政、教委)の意図があるのか、無味乾燥な呼び名ではある。
 もっとも、町内会、祭典ごと、サークル活動などでは、しっかり地区名で呼び合っており、 二重構造でアタマを鍛えているだけの話、かも。

数億年前の岩、神森山

 『県道平野笠岡線改良工事』と名づけられている、竹田と坪生を結ぶ道路拡張工事は、 いよいよ大詰めを迎えているようである。
 車道七メートル、歩道二メートル幅を確保するために、神森山の東部分が大きく削られた。
 むき出しになった岩肌は、今はもうコンクリートが吹き付けられて見えなくなったが、 あの青みがかった鉄色の岩肌を、地学の大藤智明先生(大門高校)に観察してもらった。
 「これ、ふつう蛇文岩と言いまして、堆積岩ではなく、 地下深い所(マグマ)でマグネシウムと鉄を含む成分が固まって出来た岩石です。ですから、 この層からは絶対に化石は出てきません。つまり、 化石が堆積するような時代よりももっと古い時代の層。そうです、数億年前の岩を、 今見ているわけです」
 観察用の道具が入ったバッグを肩に掛け、金ヅチで石をコチコチ割りながら、 明快に答えてくださった。 すべての土、石には、地球生成の歴史が、 込められているのでありました。

新道路事情

 東池平と西池平の両地区で、殆んど同時に始まった南北タテ線の道路拡幅改修工事が、 四月初め完成した。
 工事名は、『東池平線』『坪生五号線』といい、 東池平消防屯所を北に上がる道及び上がって右への展開、そして西の方は、 池本屋東の道を北に上がり下池までの道である。
 いずれも、幅四メートルと大幅に広げられ、約工費三、〇〇〇万円弱という大工事で、 地元の巧建設(橋本寿代表)が施行した。
 工事費は福山市負担だが、道路拡幅用地は、沿線土地所有者の無償提供もしくは、 有償提供分の受益者負担という、善意と話し合いによるコミュニケーションの結晶の道である。
 心して通りたい。

夕ぐれ市、開店

 坪生クリーニング店東向かい、元農協倉庫用地の一角に、野菜市が開店した。
 「あれェ、郷土史会がバザーでもしょうてんな」と冷やかしの声も聞こえたが、実はこれ、 仁井、池平の調整区域内で農業を営む人たちで組織する 『仁井、池平地域営農集団(森川昭代表、五十一戸)』が、三月二十日から始めたもの。
 毎週水曜日と土曜日の週二回、午後三時から五時までの開店だが、安い、新鮮、楽しい、 との三拍子そろって大人気。
 因みに、第一回目の売上げ八,六五〇円、第二回目一二, 六五〇円と急増。 一パック一〇〇円か一五〇円単位からすると、相当な販売(出荷)量である。
 当初、「無人市」で省力化を考えていたが、コミュニケーションづくりの精神を大切にと、 会員が無料奉仕で店番をしている。これがまた、楽しい買い物の基となっているのである。

せんだいろく、復活

 昭和二十九年を最後に、絶えて久しかったせんだいろくが、三十数年ぶりに復活した。
 かつては西池平と中組にそれぞれ一基あり、 特別におめでたい年や大豊作の年に(従って七〜十年に一回)繰り出していた。
 平成元年の秋まつりから復活したのは、中組(中組第一、同第二、青木、中山、峠各町内会) の方で、神森神社の物置で長年ほこりにまみれていたものを、補修復元。 その費用約三十万円は、町内会各戸に呼びかけ、平衡負担した。
 特徴である三段のふとんは、竹で編む方式から現代式に、 大きなビニールパイプを大中小と重ね、金襴地の布を貼り合わせて復元した。 応募した乗り子(小学生男子八人)は、祭りの日まで約十回、 長老の指導を受けて太鼓のリズムを身につけていた。
 もっとも、かつぎ手の問題(人数と力不足)があり、クルマに乗せて中組地区内の巡行、 という形式をとっている。
 このせんだいろく、鞆では「チョーサ」と呼び、 「はなぐるま」「ふとん太鼓」「みこし太鼓」、あるいは「千歳楽」と、 地区により呼び方はさまざまであるが、「せんだいろく」は千歳楽のなまったものだろう。

穴の海と、瀬戸内海

 「神辺平野を穴の海′セようた頃の話じゃが…」
 「大昔、瀬戸内海は歩いて渡りょうたんで。牛窓の沖じゃあ、今でもナウマンゾウの化石が、 網にかかるいう話じゃが」
 大昔ばなしのこと、目くじらを立てることはないが、この話、海面上昇と海面下降の、 全く逆の話である。
 そこで、高校用「地学」の教科書を開いてみた。
 「更新生(一七〇万年〜一万年前)には、何回かの氷期と間氷期が繰り返し起こった。 氷期には大陸に大量の氷河ができたので、その分だけ海水が減少し、海面が下がって…」とある。
 すなわち、今から二万年前を最盛期とした最後の氷期は、約一万年前に終わり、 以後は気候の温暖化に伴う海面の上昇が進んだのである。
  穴の海℃梠繧ヘ、その海面上昇が特に著しかった約六,〇〇〇年前の頃の話。 一方の瀬戸内海陸続き時代は、約二万年を遡る氷河最盛期の話――というわけでした。