毎年十一月二十三日(勤労感謝の日)に開いている『馬鞍会』が、昨年秋で十八回目を迎えた。
その折りの参加者は、過去最高の五十七人(一昨年は、三十五人)という盛会であった。
会の代表を務める神原利一さんは、ご自身の『自分史』の中で、
「大正十一年坪生小学校卒の瀬尾政夫君が中心となって、大正九年から十五年卒の者に呼びかけて、
昭和五十一年の十一月二十八日に引野町のカニ八≠ナ合同の同期会を開催し、
二十五名参加して『馬鞍会』と命名した」と、その経緯を記されている。
「規約も、年会費もなし。年一回の例会の会費が、男性三、五〇〇円、
女性三、〇〇〇円は発足当初から変わらず。集まった人が会員です。昨年は、
昭和十年卒の人たちまで対象を広げました。案内状の発送など大変な事務は、
昭和七、八年卒のクラスがやってくれています。多分百二十通位は出されているでしょう」と、
神原代表は盛会の秘密を明かして下さったす。
昨年の出席者での最高齢は、大正九年卒の吉本正男さん(八十五才)。
いまが現役≠ニ、年輪が渋く輝く日、馬鞍会に栄えあれ。
江戸野南一、七八五ノ一の地に、『福山市東朋老人ふれあいプラザ』が建設される。
掛谷和之さん宅の南隣である。
現在は、畑地を造成した状態であるが、六五〇平米(約二〇〇坪)の土地に、
木造平屋建ての建物が建てられ、総費用は、一億一千万とか。
建物の規模は、事務室、その奥に7・5畳の和室。大広間は、ステージ付き、
二間続きで計三〇畳の和室。圧巻は、一度に八〜十人が一度に入れる大きなお風呂が、
男女用それぞれに。また、脱衣場隣には、機能回復訓練のための、
広いフロアが備え付けられていること。
週のうち三日間の開館で、9時〜16時の間、管理人お二人が交替で、常時は一人で、
面倒を見て下さる。
「坪生に大衆浴場を」は、かねてからの夢であったが、「若いもんも、はいれるんかいのー」と、
羨む声も。
平成の米騒動は、一段落したという。すなわち、お米屋さんの店頭には、
国産米が並ぶようになったというわけ。問題は、その値段である。
坪生で唯一の専業農家、わが研究会副会長の掛谷常雄さんの話によると、
「平成五年の政府買い上げ価格は、十五キロ(一斗)当たり四、二五〇円。自由米、
そうヤミ米業者は 六、五〇〇円で買います′セうて歩きょうたな。それが今年は、
早くも 九、〇〇〇円から一万円で≠ニ歩いている。早期早場米コシヒカリに至っては、
大奮発の政府が 七、五〇〇円で買います≠ニ発表すると、業者はなんと
二万円から二万二、五〇〇円。今から払っとこか≠ニ、青田買いにエスカレートしとる」と、
国産米戦国時代の到来を告げている。
もっとも、価格のみ一人歩きして、現物はと言えば、
「お分けするおコメは、ありません」と言われるのが、オチであるそうな。
研究会では、『自分史で語る坪生の一〇〇年史<Vリーズ』
として宇部市在住の小森浩さん(H5・4)、わが研究会の会長(当時)神原利一さん(H5・10)に続いて、
この四月には、井原市在住の高橋尚之さんによる『坪生をしのびて』を刊行した。
これらと並行して取り組んだ、個別編シリーズ『戦争の時代』も3号を数え、
寄稿者十四人分(一人一、五〇〇字位)を活字化した。こちらは簡易製本で発刊、
今のところ会員内部配布に止めているが、いずれ合本にして、賛助会員への配布を検討中である。
福山空襲で多くの犠牲者を出した日から、今年はちょうど五十回忌である。
『戦争の時代』のテーマを、今暫く続けたい。
『青木のこんぴらさん』と親しまれてきた丘が、そっくり消えた。
昨年秋ごろから、丘の上の伐採が始まり、今年に入って、
ダンプによる表土の積み出しが始まった。削り取った土は、
直ぐ西側の田圃(木安田・土井)に運ばれ、一帯を白く変色させながら、埋めている。
跡に何戸分の宅地が造成されるのか、詳細はまだ不明だが、一つの森がなくなり、
その土で田圃をならしてしまう。
農村風景が、ますます貴重になる所以である。
ヨソのことを言うのはなんじゃが、米を買い集める商売人が言うとった。
「米を扱うには順がある。手城から始めると、次第に蔵王、春日、坪生と入ってくる」。
なんでか言うたら、味の落ちる所から扱っていかんと、商売にならんというわけじゃ。
坪生でも、味のええのが町通りの米。あすこは土がええ。池平・瀬戸。
神森さんの山の土をもろうて、モッコに一荷分かついで自分の田圃に入れたりしようた。
土のシンがしっかりしとるんじゃ。井ノ木の方の土もええと聞いとるな。米の味はのう、
土、水が微妙に影響するんじゃ。
今ごろ、坪生では反当三石位が平均じゃろうな。何も知らんのじゃな。反当とは、
一反が三〇〇坪か、そこで三石、すなわち四五〇キロを収穫できるということ。
ついでに言うと、そっくり政府に買い上げてもろうて、昨年で三石分合計で一二七、五〇〇円。
だれが供出米に本気になれようにぃ。(松田貞さん=八〇才談)
85・85・83・83・83・80・78・72――ゲートボール『坪生チーム』メンバーの満年齢である。
平均81才。女性6人、男性2人のこの軍団が、いまを盛りと咲き誇っている。
5月14日の『坪生学区親善大会』(5地区9チーム)では、2チームに分かれて出場し、
1・2位を独占、はるかに若い他チームを、ア然とさせた。
その兆候は、四月に入ってからの大会から始まっていた。
すなわち、4月17日の『福山市東部大会』では、36チームが8コートに分かれて熱戦。
コート代表に勝ち抜いて、5月6日の『福山市大会』へ。そこでも勝ち進んで、
とうとう県大会予選への出場権を手にした。4月18日の『亀井杯』(135チーム)で、
40コートに分かれ、コート銅メダル。4月29日の『市東部シニア大会』(26チーム)準優勝など。
チーム代表神原稔さん(85)はこの好調について、「はっはっはっ。まぐれまぐれ」
と快活に笑い飛ばされるが、この明るさが秘訣のようである。もちろん課題は、
若返り(新人歓迎)と、助成金獲得である。