『東陽台』とは、いいなァ

 八〇〇世帯を越す大門団地は、これまで「大門町大門○○○○番地」と、 四ケタの番地だけで分類されていた。しかも、JR大門駅近くも同じ大門町大門というから、 訪ねてくる人も、尋ねられた方も、困った経験者は結構多い。
 平成6年11月21日から、町名が東陽台となり、バス通りを挟んで、一丁目、 二丁目に大きく区分けされた。
 福山市域の位置関係も分かり、明るさいっぱいの、なんともいい名前である。
 なお、同時に、鶴丘が「坪生町南」一丁目、ヤケザヤが同二丁目、 川原山が同三丁目として発足した。

西楽寺のクロマツに、赤信号

 坪生町随一の銘木、西楽寺境内のクロマツが、なんとか緑色を保ってはいるものの、 全く生気を失なっている。
 ちょうど二年前には、全体の80%が赤くなり、「枯死宣言」を受けたが、 その後奇跡的に蘇り、檀家一同をホッとさせていた。松枯れにしては進行が鈍いが、 春先の芽生えも見られず、造園師も、「もう触れん」と、投げ出した体。
 住職懸命の祈りが、二度目の奇跡につながるか。

滑池べりに、古代の窯跡くっきり

 宅地造成の候補地となっている滑池南縁り一帯は、研究会でも『平安時代の窯跡』として、 対岸に説明板を立てているが、開発着手に先立ち、福山市教育委員会による試掘調査が、 平成6年8月初めに行なわれた。
 手掘り段階では何も現われなかったが、バックホーを導入して、 池縁りより10メートル地点を思い切って掘り下げた結果、地下一・五mの所から、 東西に向けて、登り窯の壁にあたると思われる30センチ幅の朱色の筋が、 等間隔で4本くっきりと現われた。
 その後の市教委文化課からの連絡では、 「開発業者は、試掘地点をはずして造成にかかる方針」のようである。
 同地点の公園化という当初の計画が実現し、水辺の公園が『古代の復元窯跡』となれば、 備後の名所になるのだが ―。

馬鞍山の雨乞い、卒業版画に

 馬鞍山の雨乞い行事が、坪生小学校の卒業記念共同制作として取り上げられ、 特大の版画となって見事に蘇った。
 制作に取り組んだのは、平成七年三月に卒業した六年生(4学級)一三六人。 制作委員で構成を練り、つぼう郷土史研究会の掛谷繁視会長や西楽寺を訪ねて話を聞き、 さらに馬鞍山に何回も登って、イメージを固めていったという。
 タテ10メートル、ヨコ24メートル、この画面を四十五に分割し、1枚を三人ずつで担当、 版画にしていった。
 馬鞍山頂上。大きな炎と共にのろしが上がり、回わりを大勢の人が立ち働いており、 少し離れた龍王社の前では、白衣姿の女性が二人、懸命に祈っている様子など、仲々の力作である。
 作品は現在、坪生小学校正門玄関の入った所にドーンと展示され、訪れた人々を温かく迎えている。

江戸期の、民家建築を基礎調査

 福山市教育委員会では、文化財の基礎調査対象として『古建築』をあげている。
 その一環としてか。過日、「旧深安地区の、江戸期の民家建築物をリストアップしてほしい」 との要請があった。
 早速、研究会二名で実地調査をしてみた。
 坪生地区では、(1)西楽寺本堂(旧益本屋住宅)(2)仁井「田口」の門長屋 (3)森川亮作さん旧宅(仁井)(4)掛谷繁視さん本宅(東池)(5)桑田守さん本宅(西池) (6)神原皓二さん旧宅(狐原)などが、江戸期の建築物であることがわかった。尚、 綿密な点検が必要である。

お年寄りのふれあいセンター、開館

 坪生町の江戸野地区に建設中であった『福山市東朋老人ふれあいプラザ』が、 3月24日に完成した。計画提示から丸3年、待ちに待った開館である。
 使用は、火・木・土の3日間。午前九時から午後四時迄(おフロの使用は、10時〜15時)、 60才以上の人が原則で、無料。
 テレビ・ビデオ・カラオケ・囲碁・将棋・あんま機などが揃っている(飲み物の持ち込みは自由)。 但しフロ利用者は、タオル持参の事、とのこと。
 団体10人以上で使用の時は、早めに予約してほしい。電話は四八−〇七四五。
 大衆浴場感覚で、気軽に、明るく、しかし回わりへの思いやり、節度あるふれあいが、 長続きの要素である。

夕ぐれ市、丸4年を経過

 坪生名物『夕ぐれ市』が、4周年を迎えた。
 3月19日の日曜日。415回目だそうで、福山市農協あとつぎ会坪生支部(掛谷賢次代表、11人) による焼きとり、ポン菓子などのほか、洋服(昼田商店)、雑貨(井上商店)、乾物(藤井商店)や、 因島からのミカン販売まで、実に多彩な品物に、大賑わい。午後3時頃には、 すっかり売り切れの状態となっていた。
 生産者直売の、新鮮且つ低廉な野菜に加え、駐車場も十分という恵まれた位置から、 周辺の主婦にとって、生活の中にすっかり定着した感がある夕暮れ市ではあるが、 農協所有地という関係から、いつ立ち退きを迫られるかという不安が、 関係者を揺さぶっているのである。

坪生公民館、館長・主事さん交替

 4月1日付けで、館長・主事さんとも、新旧交替された。掛谷忠義館長は11年、 渡辺主事は14年という、長年のお勤め。ほんとうにお疲れさまでした。
 後任には、館長に掛谷宗久さん、主事には藤本長正さんが、同日付着任された。
 なお、同日付で、やはりわが研究会会員である森川昭・町内会連合会会長も離任、 8年間の勤めを終えられた。

自分史合本『戦争の時代』を発刊

 研究会では、『自分史で語る 坪生の一〇〇年史=xのシリーズ4号に当たる『戦争の時代』を、 このほど刊行した。
 研究会の火曜会例会のテーマとして取り上げ、昨年1年間を通じて、 そのつど五、六人分の原稿をワープロ打ち、挟み込みだけの簡易製本にして、 内部資料として配布してきた。
 その二十人分に加え、平成元年に発刊された『語り継ぐ戦争誌 平和への轍=x の中から抜粋して、計二十五人に登場していただいた。
 男手を取られた留守家族の思い、夫や息子を送り出した若妻、母親の思い、 そして子どもの目からの思いが、切々と綴られている。
 B5版192ページ、五百部。賛助会員には近く届けるが、 希望者には実費@七〇〇円でお分けする予定。