いきいき、リサイクル運動

 今は『坪生町南一丁目』となった坪生小学校南側の高台に位置する鶴丘団地一帯は、 なぜか清潔感があふれている。
 地区七ヵ所に配置された、明るい緑色の『空きカン入れ』『ビン入れ』 (ドラム缶を改造、塗装したもの)
が、その疑問に答えてくれる。
 発信元は、森迫清之さんが会長を務める『ローズ・クリーン・サークル』である。
 同氏が町内会長を務めるようになった平成四年ころから、 地区内のゴミ収集について取り組みを始めた。分別を徹底した上で、 『資源ゴミは、資源元へ返す』というわけである。
 現在、この資源回収サークルは、会員十二人が、月に二回、 日を決めて奉仕活動に精を出している。
 回収した空き缶や空き瓶は、昨年度ではなんと十七トン。 その売り上げ8資源元引取額)が、十万円。それに補助金十万円が収入のすべてである。
 これに対して、専用ドラム缶一対の制作費が一万円を超す。さらにゴミ置き場の整備、 プレハブ倉庫、軽四の維持費など、支出は収入をはるかに上回るが、 資源をリサイクルしたという充実感は、なにものにも替え難い様子。
 この緑色のドラム缶、夕ぐれ市ややなぎ酒店、西楽寺などに波及、 「ポイ捨てやめましょう」「地球にやさしく」とのスローガンで、運動の広がりを見つめている。
 なお、森迫代表は、昨年六月の中国新聞での紹介以来、各方面から注目され出し、 近々には、笠岡市の小学校へ講演に出かけるほど。
 同氏と話していると、環境問題は、地球規模でとらえる視点の広さと同時に、 日常の積み重ねの大切さを、教えられる。

神森神社、平成の大改修成る

 平成の大改修とも言うべき、神森神社の大改修が竣工した。
 平成九年三月二十三日午前、約百三十人の総代、寄進者が神森さんに集まり、 奉祝祭は殷賑を極めた。
 この大改修、本殿に一,六八〇万円、随身門に四〇〇万円、 石段ほか石材部分に一,七六〇万円の、計四,三五〇万円。まる一年がかりの大工事であった。
 寄せられた寄付金も、当初見込みを一,〇〇〇万円ほど超えたため、課題とする改修の、 殆ど全てを手掛けることが出来たという。
 総寄付者八一五人。
 石材の白さと、本殿屋根銅板のきらめきで、いま神森さん辺りは、 夜もボーッと浮かび上がって見えるのである。

長距離ランナー、全国区の中川君

 正月二、三日、東京―箱根間(片道一〇七・五キロ)を二日間に亘り、 十一時間前後をかけて走り抜く『箱根駅伝』は、正月テレビの華である。
 正式名称を『東京箱根間往復大学駅伝競走』と言い、平成九年は、 神奈川大学が初優勝を飾った。
 昨年は棄権失格した悔しさをバネにしての、ダントツの総合優勝。 三年前の六位が最高だっただけに、その評価は高い。
 同大学の厚い選手層の中に、実は坪生出身の中川真一君(東池平、中川正さん長男)がいた。
 同君は、中学生の頃から長距離ランナーとして注目され、興譲館高へ。
 神奈川大へ迎えられた平成六年、一年生の時にレギュラー選手として大活躍。 箱根駅伝8区の平塚―戸塚間21.3キロを走る真一君の姿が、テレビ画面に延々と映し出され、 拍手を送ったものである。この時は、総合で七位。
 この年、真一君は箱根駅伝のほか『全日本大学駅伝』『東日本縦断駅伝』などに出場、 主力選手としてチームを上位入賞に導いた。こんな選手がバックに回わっている選手層の厚さが、 一気に優勝として華開いたのが、今年であろう。
 今年卒業した同君は、三重県の柳河精機株式会社に就職。陸上部に属し、 長距離ランナーとして活躍が期待されている。

土曜会、一挙五人が新入会

 平成九年三月一日、土曜会の会合があった。久々の集まりである。
 その中に五人の新人会員の顔ぶれがあった。すなわち、桑田利雄さん、 桑田宣政さん、桑田博司さん(いずれも峠)、藤井節夫さん(青木)、 掛谷武司さん(江戸野)の五人である。
 『定年退職後農業』が盛んと聞くが、企業定年を終えた後の、 文化活動追求思考に応えるサークルでありたい。
 なお火曜会に、三月末、新入会の西深津町在住の松岡稔さんは、狐原出身で、 JR、天満屋福山見せ勤務を終え、「故郷のことが勉強したくて」と、元気印で出席されている。

叙勲祝賀会、大にぎわい

 平成八年十二月三日、火曜会月例会の後半時間を利用した『神原利一先生叙勲祝賀会』は、 七十一人出席という大盛況のなか、 ご次男の神原憲二さん(クリエイト・マニュアル社代表)に付き添われた同氏を囲んで、 和やかに進行した。
 学区を同じくする東陽台地区老人会の組織づくりに奔走された逸話や、 詩吟・今様など祝い歌が次々と。
 なかでも、内山道子さんの謡った 今様≠ヘ平安時代の代表的な歌で、 のびやかさと優雅さをそなえた階調での『蓬莱山』。一同「ヘェーッ」と驚きの声と共に、 聞き惚れていた。
  千歳降り、萬歳千寿重なれり
  松の枝には鶴巣くい
  巌のそばには亀遊ぶ
 憲二さんは、謝辞で、「皆様に支えられた父の姿を誇らしく思う。この上は、 りっぱに死んでほしい」と結び、生死を越えた、肉親ならではの情を垣間見せ、 見事に締め括って下さった。

土蔵のお宝、三度にわたり搬出

 お盆月も終わりに近づいた昨年八月末、鎌倉市在住の桑田敏郎さんから、 「仁井の生家の土蔵を整理したい。必要な物はどうぞ」との申し出があった。
 ご本人立ち会いによる搬出作業は、八月三十日に第一回、その後十月二十八日、 十一月十四日と、計三回にわたる搬出作業を終えた。
 キチンと整理された土蔵の中は、「一度ドロボーに入られて、 カネ目の物は盗まれた」とおっしゃるものの、お駕籠、塗りの長持ち、生活用具、 農具や古文書などが、しっかりと収納されていた。
 なかでも、離れの部屋に残されていた襖十二枚には、 同家が庄屋を務めていた江戸時代末期の、坪生の村政をまざまざと映し出す古文書が、 びっしりと貼りつけられており、今後の整理研究が楽しみである。
 研究会では、坪生小学校の郷土史資料に加え、できればもう一教室を借用、 『桑田家資料室』として、一括展示をしたい意向である。

よろこびて、やがて悲しき…

 『仁井の田口』といえば、戦前派は、「あー、田口の桑田一郎さんは、 初代の坪生農協の組合長じゃった。その弟さんが、貞三さん言うて、 陸軍少将じゃった偉いお人じゃ」とおっしゃる。
 猪平治―猪惣治―平右衛門さんと、江戸時代から明治にかけて、 三代続けて庄屋を務めた旧家である。とくに平右衛門さんは、 十一才という若さで家督を継ぐ(母聞くが後見)。
 その後が一郎さん。そして十一代目敏郎さん(鎌倉在住)と続くわけである。
 平成八年八月、「土蔵の中を整理したい。 郷土史研究会で必要な物はどうぞ運び出してほしい」との敏郎さんからの通報に、喜んだ。
 軽四輪三台で駆け付けた会員六人。
 「ほんとうにこれもいいんですか」―、どれもこれもきちんと整理され、 そのまま常設展示場になる土蔵の中、喜々として搬出作業に汗を流しながら、 次第に無口になっていった。
 仁井の山を背景に、前景の稲田に素晴らしく似合う同家の土塀、土蔵。 この江戸時代の遺構が、すべて取り払われて更地になる日がやって来るのか―との思いである。
 農村地帯の景観は、原日本の風景として、ただ褒めるだけではなく、 国や自治体から褒賞金が支払われてしかるべきではないか。そんな、 焦りにも似た感傷にふける、このところの坪生である。

マイナス標語に、ウーン

 ますます複雑化する現代社会であるからこそ、プラス思考の大切さが強調されている。
 それにつけても、坪生公民館のフェンスに据え付けられた交通標語は、いただけない。
 『飛ばしすぎ、明日はあなたのお葬式』―白地に黒々と書かれたのを見て、 ギョッとする人も多かろう。
 運転者を、無謀運転者と決め付けるマイナス思考。そして、葬儀とは、 人生の完成を称える一面もあろうのに、脅かしの極致としてのみとらえた二重のマイナス思考。
 二年ほど前、深津学区で見掛けた交通安全自治会の標語、『思いやり、いい町、いい人、 いい運転』―褒めながら、めざそうとするプラス思考との、なんたる落差。
 「あれは気になってました。なんだか通っているのが悪いみたいで」―坪生に親戚を持つ、 笠岡在住の青年の述懐である。
 蔵王には公民館近くに、『この道を、一度通ってみませんか』という、 あたたかみ溢れた誘いの標語がある。反面、箕島地区に行くとなぜか、 『この道、通るな』との貼り出しが、広い車道(実は農道ではあろうが)の、 あちこちにぶら下がっている。
 この落差。明るい町作り運動の基本に触れる、こころ根の問題ではないか。

若返りすぎた、神森さん

 昨年秋、お米の取り入れの頃、神森さんの石段工事が進むにつれ、 周辺の木々が伐り倒され始めた。その後、本殿周辺の木もきれいさっぱり取り払われ、 鳥居から本殿まで、神森さんはすっかり露わな姿に変容した。
 整備が行き届いたと見るか、乱伐、やり過ぎと見るか、価値観の分かれるところである。
 明治二年生まれの、民俗学者であり粘菌学者の和歌山県出身、南方熊楠は、 明治政府によって全国の神社が統合されることに、生涯をかけて反対した。 その理由は、「森の木を伐ってはならない」との信念であった。
 明治政府は、近代化の掛け声と共に、都市周辺の森に着目。その森には大抵、 社祠が祭られていたが、その根源である神社を統合し、森を更地にしていこうとしたのである。
 真言密教に精通した熊楠は、神社を守る運動を通じて、実は日本の森を守った恩人である。
 長年月、氏子に見守られて育った樹木の筈。モノ言わぬだけに、慈しみたい。 そして聖域の木は、すべて神木と位置づけたい。

陶山公民館、うれしい越境

 平成八年十月二十六日、土曜日の午前中、 隣接する笠岡市陶山公民館(惣津章雄館長)主催のウォークラリーに参加した子ども達約七十人が、 坪生を駆け抜けた。
 午前九時、陶山公民館を出発した一行は、山陽自動車道の側道を歩いて西楽寺へ。 トイレ休憩の後、馬鞍山山頂をめざした。
 まぐら山頂では、自分たちでご飯を炊き、同公民館で作ったカレーを運び上げて、 賑やかな昼食となった。
 帰りも、トイレ休憩のため西楽寺に寄り、午後三時過ぎ、計六・五キロを駆け抜け、 公民館に帰り着いた。
 このラリーは、同公民館のサークル『チャレンジ・クラブ』が、 年間四回催しているもので、この日も、事前に下見をして15ポイントを選び、 各ポイント毎に問題を出して、それぞれ解いて行くやり方。
 因みに、西楽寺では、玄関脇に据えてある弓道用巻き藁に、 『これは何をするもの?』との問題が掛けてあった。

すっごい人が、いたもんだ

 坪生小学校の校長室が今、おもしろい。入り口や室内に石のかけらが飾ってあり、 これがいずれも化石である。
 ちょっと関心を示そうものなら、満面を崩した校長先生が、「この話になりますと、 うれしくてうれしくて…」と、ロッカーから次々に出てくるのが、 亀の甲羅や貝の形をした化石である。
 校長平木光明先生は、ご専門が古生物学とか。「これ、第3紀中新生代、 すなわち一六〇〇万年前のモガイの仲間です。美作北房の自動車道工事現場で見つけました」と、 いともあっさりとおっしゃる。
 かと思うと、普通の御影石と見える、その模様の部分が、「これ、 みんな生物の化石です」と言われて、ウーン。ただただ感心するばかりである。
 航空写真を見せながら活断層の歴史も話される。なるほど、専門というのは凄い。 近い機会に、定例会で是非、特別講師をお願いしたい方に、また出くわした。