五月十日の『'98NKKふくやまフェスティバル』は、メインステージに角川博、
金沢明子が登場するなど、計10会場で、それぞれ趣向を凝らした催し物が披露された。
今年で10回目のフェスティバル。新聞報道では、あいにくの天候ながら、なんと約十三万人が訪れたというから、さすがではある。
『おまつりパレード』に出場した『坪生はね踊り保存会』
(掛谷進会長、35人)メンバー28人は、揃いのハッピ姿で、ハーレー、バトンスクール、
クラシックカー、香港の獅子舞いに続いて練り歩き、
最後尾は県警音楽隊という豪華なパレードに、伝統芸能の彩りを添えた。
翌日の山陽新聞は、カラー写真で、なんと坪生はね踊りのお練りを掲載していた。
本館前広場では、20分ほどはね踊りを披露。取り巻いた大観衆から、
盛んな拍手が湧き上がり、坪生のお祭りの時とは違った雰囲気に、
町外に出るのは初めての年少者メンバーは、いっそう緊張を高めていた。
西池平の殿迫池の大改修が、急ピッチで続いている。
坪生土地改良区(森川昭理事長)が発注したもので、国などの助成により実現したが、
四,九〇〇万円というスケールの大きさである。
きっかけは、むろん堤防の老朽化である。直線距離で六〇メートル程、
ほぼ真直ぐ立ち上がっていた堤防を、下部をうんと広げ、台型にするという大工事である。
昨年暮れから水抜きをしたが、大量のフナ、そして体長八〇センチもある、
丸々と太った鯉2尾には、たまげたという。ゴイサギ、
クロサギなど野鳥が多く群がっていたというから、自然の生態系はすばらしい。
坪生町仁井の田口(桑田敏郎さん=鎌倉在住)の土蔵から、歴史的生活用具を搬出したのは、
平成八年夏のことである。
それらの内の一つ、六曲屏風一雙(双)から採取していた計十二枚の襖絵のうち、
破損の少ない六枚を組み合わせて、六曲屏風一隻が、見事によみがえった。
プロの表具屋さんも顔負けの、表装の腕を発揮したのは、会員であり、
陶山公民館(笠岡市)館長の惣津章雄さん(63)。四〇才の頃から、
同家の所蔵の古文書などの表装をと思い立ち、表具室として米蔵を改造、
数々の作品を生み出してきた。
「骨組みに、五重の下張りから始め、原本を洗いに掛けるなど、
作業は優に一ヵ月を要しました。作業に入った時は、蔵に籠りきりで、
もちろん電話にも出ません」と惣津さん。
力作である。日常の管理の目が要るため、西楽寺が常設場所となっている。
拝観希望者は、何時でもOK。
研究会では、今年度事業の第一に、冊子『坪生たずね歩き』
の再改訂版一,〇〇〇部の発刊を決めている。
編集作業も後半の幹事会で、「たずね歩きに便利なように、主要ポイント間の距離、
あるいは徒歩による所用時間を図示してはどうか」との要望が出た。
この難題を、「1週間くだされば」と引き受けてくれたのが、
元気印健脚会員の二瓶康男さんである。
氏は、元の職場から借りてきた、えんしゅう0センチの輪を転がして歩く路上測定機を駆使して、
坪生中の40ポイント間の歩測図を完成。今回印刷に間に合った。
歩測に当たっては、重要箇所は3度、
さらに会員の田村加寿美さんのバイクで距離を確認してもらうなど、
念には念を入れた作品である。
杖の先に輪っかの付いた歩測機を押しながら、坪生盆地を歩きまわった二瓶さん。
「いろんな方との出会いが楽しかった」とおっしゃるが、通り掛かりの人に、
随分おかしがられたに違いない。
いま伊能忠敬さん、ほんとうにお疲れさまでした。
NKK福山製鉄所総務室が発行している『サン』は、今春ではや75号である。
B5版20ページ、春秋の年2回、発行部数二,八〇〇部というから、さすがにスケールが大きい。
創刊は、昭和55年とか。
同社の広報誌には違いないが、内容はほとんど瀬戸内圏を含む、
地域の文化的なニュースで彩られている。
前号(H9秋74号)では、われらが会長掛谷忠義さんの笑顔写真入り、
丸々1ページを使って、つぼ研活動を紹介してくれた。
その前のH9春73号では、われらが会員森川和彦さん(NKK福山・銑鋼制御室勤務)が、
『計量管理で優良従業員表彰を受けた』と、これも顔写真入りで取り上げてあった。
「利益の1%は地域還元に」(総務室広報担当者の話)というから、やること成すこと、
おおらかで、どでかいのである。
平成九年八月、神森神社代表総代名で、思いがけない依頼書を頂戴した。
平成八年五月発行の『つぼう郷土史研究会だより』の ふるさとだより≠フ記事中、
「神森神社、一時ピンチに」の記述に関して、「当事者の製菓会社から 事態を公表され、
以来注文売り上げが減少、経営不振になった≠ニの申し立てを受けている。因って、
記事を訂正するか、謝罪記事を掲載してもらいたい」との申し入れである。
神森さんが差し押さえ物件に、というショッキングなこの問題は当時、
隠しようのない大問題として、町内で大変な話題となっていた。
事実関係を総代さんに確認、 神森さんはダイジョウブ≠フ思いで取り上げた。
しかし考えてみれば、同じ町内に営業する方のことに触れ、結果的に信用を損ない、
営業に悪い影響を与えたと主張されても仕方がなかった。
同社は今、構造不況のなかで、頑張っている。おモチなどの御用は、
どうぞ町内の製菓会社に注文していただきたい。
そして製菓会社さん、お願いです。現在地にいらっしゃる間は、
私たちの神森さんの運営に献身している総代さんと、どうか円満であってください。
NKK福山OBの宮川義胤さん(69)は、東陽台在住の研究会会員第一号。もう10年選手である。
同氏は、定年退職後、自宅を改装して囲碁クラブ『手談』を開設、飄々とした持ち味で、
愛好者のセンターとなっている。
その宮川さんが、一昨年から木工の魅力にとりつかれている。
初めは、自宅庭の植木や、散歩途中で見つけた木片で作り始めた杖が始まり。
その後、天狗のお面や龍、フクロウに発展した。
あのロングランが7ヵ月も続いた『もののけ姫』を鑑賞後は、自然の木を生かしながら、
縄文の叫びとでもいえようか、或いは木魂を表現するような造型が、次々と産まれている。
平成九年十一月の学区文化祭では、研究会コーナーに、同氏前期の作品12点を、
出陳していただいた。
最近は、やはり鑑賞後ひらめいた『タイタニック号』である。
西楽寺山門付近に立つと、サラサラサラサラと、心地よい響きが聞こえる。
あれッ、群棲した小鳥のさえずりかなと、滑池方面に歩みを進めると、
水のせせらぎであることに気がつく。
『坪生ニュータウン』。いかにも不動産会社販売促進の発想らしい命名であるが、
造成に並行して、滑池から下流に注ぐ水路が整備された。
水路自体は以前と変わらないが、相当な段差の所が、階段状にコンクリートで整備された。
せせらぎの音源は、ここにあった。
そう言えば、今年はキジの鳴き声が戻ってきた。春先から五月末現在、
とくに西楽寺上の山に棲みついたのか、ケンケーンと、しわがれ声を聞かせてくれる。
五感を働かせば、坪生のあちこちに、里山の良さが発見できるのである。
「地球にやさしく」のキャッチフレーズが、一般化してきた。最近では、
「環境ホルモン」というマイナス用語が登場。『安全』に対する感覚が、さらに問われている。
地球環境を考える教材『ジオ』、のち『ブルーティラ』と改名した地球儀が、
研究会でも大評判である。
直径僅か12センチ。表面には何の文字もなく、宇宙衛星のカメラで捕らえた地球の姿を、
そのままカラーで表示している。
基本の色は海のブルー。森林を示すグリーンは、日本列島をも覆っていて、一安心。
南北極の氷は白色だが、砂漠化現象を示す広範囲の薄茶色の広がりは、
地球の未来を予告しているようである。
ただ手をこまねいて批評をしているだけでは、
なんの解決にはならないとの思いを募らせてくれる。
「ごみゼロ運動」を実践されている坪生ローズクリーンサークル代表森迫清之さん達の活動は、
次の世代に引き渡す地球は、如何にあるべきかを問い掛け、行動に移されているのである。
この運動、東池・青葉台・狐原、そして学区老人会の取り組みなど、徐々に、
確実に広がりつつある。
平成10年3月22日の中国新聞福山圏版は、写真入りで『中国新聞社旗少年少女球技決勝大会』
を紹介した。
ソフトボールの少年の方は、早々と姿を消したようだが、
フットベースボール(少女)の坪生チームは、1回戦2−0(瀬戸)、2回戦4−0(手城)、
準決勝4−3(曙)と勝ち進み、決勝は、お隣の大谷台チームと相まみえた。
大野―徳永順のバッテリーで臨んだ坪生は、なんと8−1で圧勝。
初の頂点に立ったとう次第。
『Tubou』のユニフォームも誇らしげに、18人の選手全員がVサイン、
後ろに監督・コーチ・父母役員か、まさに『悲願達成』の全員ニコニコ顔。
カラー写真で掲載された当日の中国新聞は、地域の皆んなの宝物である。
平成10年3月24日の朝日新聞は、福山市内の小中学生たち約二〇〇人が参加して開かれた
『福山市スポーツ少年団交流剣道大会』の様子を、写真入りで報道した。
この大会には、坪生剣友会メンバーは、殆ど全員の25人が参加した。
中学生女子の部で、中島三千代さんが優勝したほか、河口純美さんが準優勝。
掲載写真で対戦している立花諒太君は、小学四年生の部で敢闘賞を。
そして同六年生の部では、山本忠司君が準優勝、中学生男子の部で小田原和也君が、
やはり準優勝。小学三年生の部に出場した森田万弥君が、努力賞に輝くなど、大健闘であった。
指導者であり監督の神原育雄さんは、「サッカーや野球ばかりが持て囃されているようですが、
地味な剣道に汗を流している少年少女たちを知っていただく、良い機会でした」と、
紙面を飾ったことを喜んでいる。
古道『石州往来』は、馬場池尻から峠〜中山を通って笠岡に至るが、
坪生町峠の桑田宣政さん方周辺が、坪生の新名所として人気を集めている。
遠景で言えば、ヒノキの並木が約二〇〇メートルに亘って七〇本。近づいて見ると、
古道のすぐ東隣りの桑田さん方私道の両側にヒノキ並木があり、その根元に石ウスが展開する。
現在、約五〇〇個というから、なんとも壮観である。
コンニチワーと邸内に向かうと、左手に、かつての農作業器具小屋変じて、
『歴史的生活用具収蔵庫』に出くわす。有名になったため、
平生は入り口は網戸でロックしてあるが、事前に申し込めば、快く開けて下さる。
収蔵庫の中は、種類別にキチンと整理されており、なにしろ点数の多いことに驚く。
今年3月21・22日、緑町のローズアリーナで開かれた『中部東部ふれあいフェスタ』では、
坪生公民館コーナーに、石ウス並木通りと収蔵物を特集したパネル写真と、
現物二〇点ばかりを展示。手動の蓄音機に、人気が集中していた。
平成八年の早春のこと。神森神社西北側、チキリ権現さまの森に、一週間だけ、
角を生やした大型の鹿が出現した。
坪生町東池平瀬戸で、椎茸の栽培作業をされている金尾貞俊さんの奥さま多喜子さんの話である。
「あの時、繋いでいた犬があんまり吠えるんで、作業所から出てみました。
お尻の白い、りっぱな角の生えた鹿が、向かいのチキリ権現さまの所に佇んでいました。
ほんとにビックリして主人に言いましたら、こんなとこに鹿が居るわけなかろうがと、
ほんまにしてくれませんでした。それからちょうど一週間、毎日姿を見せてくれました。
ほんとに幸せな、不思議な思いでした」
そう言えば、今年はキジの鳴き声が盛んに聞かれる。私たちは案外、
大へんぜいたくな環境に囲まれているのかも知れない。
五月十五日から一週間、愛鳥週間が始まった。折りも折り、今年五月の火曜会月例会では、
猛禽類(タカやワシ)の写真観察を続けている藤本康雄さん(会社役員、55才。
伊勢丘在住)から体験談を聞いた。
同氏は三年ほど前から、大型望遠レンズとカメラを抱えて、
笠岡干拓通いを始めるようになった。
同干拓地は、20年ほど前に出現した。10年ほど前からネズミが異常繁殖。つれてヘビが。
それを狙う猛禽類が、という図式である。鳥類観察では、今や全国区の知名度とか。
見せていただいたスライド写真に登場する猛禽類は、チョウヒ、チョウゲンボウ、ミサゴ、
ノスリ、ハイタカなど。いずれもタカの種類で、大型野鳥の中でも珍鳥ばかり。
時速50キロくらいの猛スピードで飛翔するタカ類にとっては、
ほんとうに笠岡干拓は天国に違いない。なにかと批判の多い大型公共事業も、
時には役立つことをしているという、皮肉なお話。
平成10年4月17日の朝日新聞芸能欄1ページの半分を使って、深夜番組ながら、
10年経った今も視聴率の高い『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送制作)を紹介していた。
実は平成九年二月頃、坪生小学校の平川光明校長が画面に出て、ビックリしたものである。
「21年前、福山市の御幸小学校に転校したばかりの私を、
可愛がってくださった先生を探しています。その時見せてくださった手品が忘れられません」
との視聴者の女性からの投書が、取り上げられたという次第。
画面の先生は、見事に手品を再現。再会を果たして感激する女性と握手して、
パーソナリティー共々、ニコニコという場面であった。
化石の収集といい、手品といい、平川校長の趣味の層の厚さには、脱帽である。
坪生公民館の玄関先が、「いらっしゃいませ」の雰囲気いっぱいになって、はや半年。
昨年六月十六日から始まった、公民館での市民課業務開始に伴うものである。
(1)住民票、戸籍謄抄本(2)年金の現況証明
(3)印鑑証明―などの交付が出来るようになったというわけ。
業務時間は、月〜金の午前中だが、春日町の浦上支所へ出掛けることを思うと、
本当に便利になった。
一面、「スタート時点は、多忙を極めたのと、決して留守ができないという重圧に、
心身とも疲れ果てました。今は一日平均二、三件。慣れてもきました。でも、
支所のかわりのつもりで来られて、なんでもかんでもお聞きになられるのには、
今でも困ります」と公民館側の弁。結構大変なのである。
この業務方式、福山東部地区では、御幸・千田・蔵王・引野・緑丘でも行なっているそうな。