平成15年3月27日付け中国新聞は、写真入りで、『2度目の全国、リベンジ果たす』との大きな見出しで、東朋中女子卓球部の全国大会出場を報じた。 少数精鋭の、僅か7人の同部。7人とも、同中の元教頭・伊達胖哉先生(65)の愛弟子である。 早朝7時半からの学校の練習では、背筋・腹筋など体を鍛え、放課後は、伊達先生の卓球塾『洞林寺クラブ』(寺町)に通い、毎日三時間は汗を流すという。 東朋中学校に問い合わせて、驚いた。7人のうち5人が、坪生小学校区在住であった。声援の意味で列記紹介する。 2年生 柴田 恵梨奈さん、岡本 唯さん、徳丸 侑香さん、小田 由香さん 1年生 徳丸 夏美さん、景山 真衣さん、藤井 美帆さん
上土居山頂上に、五色の吹き流しが翻るようになって久しい。最初に掲揚されたのが、
平成13年12月28日。元旦を意識して、会員掛谷常雄氏が一人で青竹を運び上げ、
頂上標識のすぐ近くの若松を利用して、立ち上げた。
頂上から携帯電話で知らされ、「うわぁー、見える見える」と、喚声を挙げたものである。
この初代は、半年後の平成14年6月末、一晩中吹き荒れた嵐の翌日、ずたずたに吹き切れた。
同年7月10日、新しい吹き流しを再び揚げたが、台風並みの強風で吹き飛ばされ、
早速捜索に上がる始末。この時、二瓶康男さんが、
自宅の押入れにしまい込んでいた鯉のぼりを持参、上下2連結とした。
標高131.8mの上土居山頂上は、もちろん吹きさらしである。鯉のぼりの方は金具が持たず、
約1ヶ月で居なくなった。
目線を、山の緑に向けると、頂上にゆらゆらと、われらが吹き流しが目に入る。
なんともユーモラスであり、「ウチの奥の院です」など、勝手なことを言うのも自由である。
さくら満開の4月11日午後、坪生学区内を、カメラ片手に桜観察に回わって見た。
まず江戸野へ。会員の掛谷毅さん宅向かいの段々畑に、桃の木が約30本。
淡い桃色の花が満開である。
さらに、江戸野の花見場所、三代目会長の故掛谷忠義さん方の山畑には
ソメイヨシノの古木が10本程並び、仰ぎ見る格好の川原山集落から見ると、
一本の大木が花をいっぱいつけて、の風情。
訪れた翌日は、今年2回目の花見とか。
坪生小学校南側・新池のバス道側に小公園があるが、その水際に、
13本のサクラが見事に咲き揃っている。坪生小学校南校舎からの眺望は、素晴らしいに違いない。
坪生の西の端、厳島神社と大場池の間に8本並ぶ大木は、ヤマザクラ系なのか。
この時期まだ三分咲き位であった。
満開すれば実に見事な眺めだが、下のバス道から目に入らないので、知る人ぞ知る、
西池町内会の人達が独占する、花見の名所である。
西楽寺境内のサクラは、15本。二十年程前移植したソメイヨシノが満開。
山門近くのヤマザクラは、緑色の葉が目立つ。まだまだである。
平成15年3月2日(日)午前9時、上土居山頂上整備の一斉作業に、20人が集合した。
この日のポイントは、(1)公民館から、頂上の吹き流しが見えるようにする
(2)今まで伐採した木株の切り取り(3)腰掛けベンチ、2台目の搬送・設置―である。
チェンソー4台、草刈り機5台、ベンチ搬送用農機1台。壮年揃い、土曜会会員の大活躍である。
2台目として頂上に配置した腰掛けベンチは、計6人が向かい合って座れる。
掛谷常雄さんの着想と制作で、材料実費一万一六七〇円。
整備作業で枯れ木の山があちこち出来たが、こちらは後日、
今度は火曜会の女性会員4人が見事に片付けてくださった。指揮官は、二瓶さんである。
『宇根峠の堂(うねたわのどう)』と呼ばれている狐原の地蔵堂が、
平成15年2月20日早朝、クルマに接触されて倒壊した。
すわ大変と色めき立ったが、この辻堂、実は数年前から建て替えの話が持ち上がっており、
事故の1週間前にも有志が集まって、見積概算に基づいた話し合いをしたところという。
ケガの功名と言うのか、一挙に再建へと促される結果になり、御難だったのは、
クルマの方との声も。
この3月末で農林省を定年退官。早速、西楽寺総代、郷土史研究会に加入など、
地元の信望厚い掛谷典人さんは、「皆の負担が少なくなるよう気を効かせた、
性根のあるお地蔵さんです。5月下旬には、寄せ棟の立派な四本堂が再建できます。
長老・松岡貞さんの指導で、元の位置・集会所のすぐ南隣に移っていただきます」と、
楽しげに話してくださった。
平成15年4月25日夜、東部市民センターホールで、現代クラッシック界の先端を行く、
若手三人組の名演奏を拝聴する機会があった。
春日・日吉台両学区のふれあい事業推進委員会が主催。
今回の演奏会の企画プロデュースの立役者・日吉台公民館長の橋本正太郎さんは、
坪生町西池平のご出身(橋本文四郎さんの実弟)。三人組の一人、
バイオリン奏者の谷本潤さん(42)は、東京都日野市在住だが、お母さんが、
正太郎さんの長姉・周枝(ちかえ)さんというわけ。
周枝さんは、故内山周文さんから名前の一字をもらわれた由である。演奏会の翌日、
急逝されたご主人・谷本清四郎氏の百ヶ日法要の為に西楽寺を訪ねられ、
さらに話を伺う機会があった。
潤さんがバイオリンを習い始めたのは、なんと三歳半の時。成長につれ、倉敷から東京へと、
先生を求め両親と共に移り住む。東京芸術大学を卒業後は、モスクワ音楽学院で、
エドアルド・グラッチ氏の集中レッスンを受け、現在の活動拠点は、
モスクワ・東京とおっしゃるロシア通である。
この日の曲目は、ベートーヴェンの『ピアノ三重奏曲ト長調作品1の2』と、
チャイコフスキーの『ピアノ三重奏曲イ短調作品50』である。
ご本人は、「多目的ホールなので仕方ないですが、反響の悪いのには参りました」
と気に入らなかったようだが、五〇〇人でいっぱいになる小ホールでの生演奏には、
身震いするほどの感銘を受けた。
地方都市では、なかなか接することができない本格演奏。入場無料、
警備・運営面すべてボランティアに託した企画に、拍手・脱帽である。
郷土史研究会は、どちらかと言えば高齢者のグループの火曜会(毎週第一火曜日に、
公民館で月例会)と、現役或いは、定年を迎える年代ではあるが、
まだ何らかのかたちで勤めをしている土曜会の、2グループで構成されている。
さて、土曜会を率いる掛谷常雄さんの尽力で、4月29日の総会を前に、
新人会員を一挙に15人迎え、合計会員も66人と、過去最多人数となった。
新人会員勧誘に驚異的働きを見せてくれた同氏は、
「上土居山の整備が皆さんの関心を呼び、あの吹流しは大変解かり易く、
説得力を生んだのではないか。また、大型ゴミ回収も、わかり易い環境保全活動です」
と力説してくれた。
新人会員の15人。年齢的には、定年前後。神森神社の総代さんも多勢いらっしゃる。
火曜会から見ると、みんな次世代を背負って立つ、頼もしい若者たちである。