掛谷敏男さん、フルマラソンで、完走

 坪生町狐原地区出身、伊勢丘八丁目在住の掛谷敏男さん(76)が、昨年末の、 宮崎県での『青島太平洋マラソン』を、4時間38分30秒のタイムで完走された。
 青島太平洋マラソンは、美しい海岸線を走るコースが好評で、全国から、 各種目計一万人規模の参加がある。フルマラソンには五千人、 『フル60歳以上男子』種目には298人の参加があり、掛谷さんのタイムは、 179位であったが、全参加者中、最高齢という栄誉でもあった。
 掛谷さんは若い頃、郡市対抗駅伝では深安郡の代表選手であったことは、 よく知られている。70歳の声を聞いてから、近隣の10キロマラソンに挑戦するようになったのは、 広島県庁勤めの、長男通幸さんの薦めによる。
 フルマラソンは、平成11年11月の『広島ベイマラソン』が初めて。なんと、その翌月には、 あの『ホノルルマラソン』に挑戦、完走されている。
 全コースの所要の約4時間30分、何を思って足を回転されているのか。
 「タイムはあまり気にせず、完走出来れば、との思いで走っています。白髪頭で走っていると、 笑みを下さる方もあり、若い人への啓発になれば、との思いです。無理をしないで、 今後も続けたい」と、淡々とおっしゃる。
 なお、ご長男のタイムは、3時間を切るという、たいへんなもの。

坪生の大樹、4本が保護指定樹木に

 福山市公園緑地課は平成14年9月、市内各地区老人会宛に、保護指定樹木の調査を依頼。 平成16年1月5日付中国新聞で、「18本を保護指定」と発表した。
 坪生学区からは、23本の樹木を申請していたが、
   掛谷良彦さん方の、ムクノキ
   掛谷武司さん方の、アラガシ
   橋本香さん方の、クスノキ
   吉本知司さん方の、リギダマツ
 の4本が選定されていた。ムクノキを見上げる良彦さんの大きな写真入りの紙面が、 印象的であった。
 四月にはいって、それぞれの樹木傍に、樹木名と管理者名を入れた、 立派な標識板が立てられた。

東陽台町内会老人部『二ツ葉会』、バラ作りで3年連続『努力賞』

 福山市は、バラの街である。少し抽象化したバラのロゴマークも、だいぶん定着してきた。
 さて、今年のバラ祭り花壇コンクールで、東陽台公園のバラ園が、 3年連続で『努力賞』に選ばれた。
 現在の二ツ葉会の会長の二瓶康男さんの話では、 「今から30年程前、福山バラ会の指導を受けて、最初は10本位から始めました。今では、 80本。潅水、施肥、剪定、病虫害防除など、年間を通じて世話を割り当てています。 当番会員30人が総掛かりで獲得した『努力賞』です」と、楽しそうにおっしゃいます。
 戴いた『平成16年度二ツ葉会ばら育成計画表』を見ると、 各月の潅水当番者名がきっちり記入されており、チームワークのすごさが窺える。
 また、先行取り組みの深津学区や福山バラ会には、毎月のように通って、 指導を受けるという熱心さに、頭が下がる思いがした。

取り戻したぞ、旧坪生小校庭・校舎

 まだこんなにあったのか。もう最終段階にもかかわらず、バイク5台、 自転車1台―軽トラックに無理矢理積み込んで搬出。このあと、冷蔵庫2、洗濯機2、コピー機1、 テレビ1を積み込んで、『シーベルの後始末』統一行動は、すっかり完了した。 平成16年5月22日のことである。
 バイク・自転車は、森迫ステーションで分解するため途中下車。家庭電化製品は、 廃棄の難しさに直面した。引取り料はもちろん取られるが、郵便局窓口が「扱いません」 と拒絶するケースである。
 平成15年6月から始めたこのボラ活動、外回り・運動場整備に、計8回延べ95人、 校舎内の大掃除に、計7回91人が出動。二階部分を残してはいるが、外回り、階下部分は、 ほぼ完璧にやり遂げた。
 行動の発端は、坪生小学校の三年生、五年生、六年生を現地ガイドするに当たり、 余りにも荒れ果てた旧校舎・校庭の光景を何とかしよう、であった。
 居住者の経済的破綻がなせる業とはいえ、家具・寝具・衣類をはじめ、 空き缶・空き瓶、プラスティック製品が、これでもかというくらい、どの部屋にも散乱し、 目を覆う有様であった。
 計15回、186人の奉仕で取り戻した、旧坪生小校庭と校舎である。梅雨明けには、 JA坪生あとつぎ会の若者の皆さんの力を借りて、 旧校舎を眺めながらビールパーティーができないものか。

橋本真由さん、宝塚その後

 平成13年春、あの宝塚音楽学校への入学を果たした、 坪生町西池平の橋本慶三・清美さん夫妻の長女真由さんの、その後についてお尋ねした。
 「予科1年、本科1年を終えて卒業。もう今は研究科2年生です。 『愛輝由真』(あいき・ゆま)という芸名で、雪組に属して、 6月11日から一ヶ月間、東京公演。史劇スサノオ≠ノ出演しています」と、 慶三さんが話してくださった。
 「あのー、お手当てはいかほど…」との下世話な問いに、 「あっはっはっは。コンビニのアルバイト程度でしょう」と、軽くいなされた。ウーン、 大変なんだ、と拝察。
 この七月七日で満20歳。数日後頂戴した、挨拶のハガキで見る舞台衣装姿の愛輝ゆまさんは、 おめめパッチリ、長身の男装の麗人。完璧なタカラジェンヌであった。
 史劇スサノオでは、和太鼓をたたく勇壮な役とか。
 こらからの活躍が楽しみ、というか、一度舞台を拝見したいものである。

三つ子ちゃん、その後

 坪生町狐原地区の掛谷正弘・好美さんご夫妻に、三つ子ちゃん誕生、 の祝報を掲載したのは、平成11年のことだった。
 直生(なおき)くん、和生(かずき)くん、実生(みき)ちゃん。当たり前のことだが三人揃って、 もう五歳。
 「今、ゆりかご保育園の年長組でお世話になっています。このところ、音楽会の発表会を前に、 揃ってトリオ・太鼓・小太鼓の練習に打ち込んで、もう大変ですが、 朝8時半から夕方4時までは、お家の中は平穏です」と好美さん。みーんなO型の、 チビ怪獣ぶりが覗えた。
 107.5cm16.5kg、107.5cm16kg、109.8cm17.8kg、と伺って、 実生ちゃんの食欲ぶりを想像してしまったのである。

掛谷講が、発足

 平成16年1月4日、坪生に住む掛谷さんが、一同に会した。
 平成10年に亡くなられた掛谷晃久さんが、お元気なころ提唱されていたが、実現せず、 以来10年ぶりの実現といえる。
 この日、西楽寺講堂に集まったのは、39人。坪生小学校区内居住者から始めようと、 50軒の掛谷さんに呼びかけていた。
 呼びかけ趣意書を見ると、「家紋や株内など、流れの違いはあるものの、 姓を同一としているということは、どこかで何かの縁でつながっている。 広い心でその縁をあたため合おう」と呼びかけている。その志や、立派である。
 なお当日は、世話役による開会挨拶・経過報告のあと、 西楽寺住職が『掛谷家の家紋』と題して、講話。
 坪生の掛谷家が使用する、『五七の桐』『丸に橘』『抱き茗荷』『抱き柊』 『剣酢漿草(けんかたばみ)』『下がり藤』についての、それぞれの由来を中心に解説、 「みんな違って、みんないい」と強調した。
 毎年この日を定例会とし、今後は、 学区外や遠距離地に住む掛谷さんにも呼びかけようと締めくくり、 世話役幹事の用意した酒肴での懇親会は、いやがうえにも盛り上がっていた。

ほーほー、ほーたるこい

 「坪生のホタルに会いに行こう」―坪生公民館主催の『つぼう子ども体験プロジェクト』は、 環境問題をテーマにしながら、遊びごころたっぷりの、平成14年から始まった好評の企画である。
 平成15年は6月7日。公民館に集まった会員・保護者30人は、 ガイドの井堀九州男さんに案内され、目的地の狐原東側、 川原山池下の『西の谷新池』から水が流れてくる水路へ。「五年ほど前は、 ビックリするくらい居たんですよ」とは、近くで生まれ育った保護者の声。
 平成16年は6月12日。農協坪生支店駐車場に集まったのは、子どもと保護者約五十人。 19:35から歩き始めた。今年のガイドは、青葉台四丁目在住、 ボーイスカウト指導者経験の山崎清次さん。
 歩きながらも、ホタルに関する解説を聞きながら、
  「ホタルは何を食べて生きてるのでしょう」「なぜ光るのでしょう」 「なぜ次第に姿を消していくのでしょう」
 など質疑応答しながらの、楽しい夜道であった。
 ホタルの習性として、夜八時以降でないと舞い上がらない。昨年と同じ所は、 残念ながらコンクリートでの三面側溝となっており、ゼロ。 コンクリート化していない所まで分け入って、漸くホタルに出会えた。その数、二、三十匹か。 そっと手にできた子どもたちの喜びようは、どうだ。
 「来年のために、帰りには元の所に放してやりましょう、との解説に、 素直に従う光景が素晴らしかった」、と掛谷里恵公民館主事。