平成19年元旦、西楽寺の山門に大きな注連飾りが掛かった。翼を広げた鶴の型を、
藁で造形したもので、直径43センチ。藁とウラジロ、紅白の和紙で注連を作り、木の板に貼り付け、
日の丸の扇子が添えてあり、実に見ごたえがある。
製作者は、東池平の掛谷常雄さん。この4月から、われらが会長である。
「インターネットのホームページで、九州産のものを見つけ出し、
写真を送ってもらって作ったンよ。結局、五個作ったかな。一個作るのに、
半日はかかるのー」とのこと。来年も、よろしく。
つぼう郷土史研究会も、ぼつぼつホームページ・デビューを、果たしたいものである。
西樂寺山門には、平成12年から、江戸野の掛谷護さん製作の門松が飾られている。こちらも、
すべて手づくりである。
大門高校2年生の馬屋原由加さんが、
4/14・15、広島で行なわれた県高等学校弓道選手権大会、個人女子の部で、みごと優勝した。
H19・5・12付けの読売新聞は、「緊張乗り越え、弓道女王」との見出しで、馬屋原さんが、
射技で言えば、大三から引き分けに入る直前の、こころを澄ませた鋭い表情の写真と共に、
大会の様子を伝えた。
大会当日の大門高校は、大健闘。全参加者600人を超える中、団体で男子が優勝を果たし、
個人女子では、8射7中で9人が並び、射詰め競射(外すと、抜けていく)5本目の的中で、
馬屋原さんが優勝した。
弓道部顧問の長谷中貴志先生の話では、同校弓道部員は約50人。坪生学区からの部員は、
毎年7、8人は居ますよ、とのこと。2m位の弓を担いで自転車をこぐ生徒を見たら、
クルマのスピードを緩めてやってほしい。
馬屋原由加さんは、坪生町2丁目(西池平)在住、克彦さん・恭子さん夫妻の長女。自宅は、
バス通り高田歯科医院の近くで、「もう11年目になりますよ」と、日曜日夕方のお父さん。
まだ2年生。今後の活躍が、楽しみである。
その1。平成19年に入って、山陽自動車道坪生地区の堤防が、美しく様変わりした。
道路公団中国支社(福山東インターチェンジ)に聞いてみた。
「私たちは盛り土伐採、と呼んでいますが、高速道のメンテ会社ショウテクノに依頼し、
そこの手配で、森林組合の方たちが作業してくれています。山陽道も、開通後20年を経過して、
植木が密集状態になり、一斉作業の必要が生じました。立ち入り防止柵の金網から山側に向かって、
2mの間隔は、すべて伐採撤去。立ち木は、4本に1本程度、間引くようにと、
決まった割合で伐ってもらいました。5人が1チームで作業されています。今年度は、
福山東インターから笠岡インターまでを重点的にやります」とのこと。この答え、
西日本道路株式会社福山管理事務所の維持課長さんである。
手入れの行き届いた森林に出くわしたような、実に爽やかな景観を、ありがとう、と申し上げたい。
山陽道に架かる「坪生大橋」の橋脚西北側道沿いに、二階建て、瀟洒な古民家風の建物が完成した。
総2階、こげ茶色の屋根にグレーの壁。一階に四箇所、二階は五箇所に配置の窓は、
わざわざ出窓にし、東側2階には、テラス付き。玄関風の位置は、しゃれた塀の内側には、
植え込みまである。これ、ナニ?
「2006年度坪生中継ポンプ場場内整備工事 07・2・5〜5・31 福山市建設一課下水道部
(坪生町4丁目地内)」とあった。つまり、下水道が設置されたあとの、汚水処理場であった。
そう言えば、内庭らしき芝生を植えた箇所に、「土壌脱臭床につき立入禁止」と標示されていた。
神原孝已市議に尋ねると、「当初候補地にあがった所が、名前を聞いただけで反対され、
今の位置に決まった。コストが高くついても、今の時代、
ああしたデザインでないと受け入れてもらえないんよ」と、
ゼイタク設計のタネを明かしてくださった。
同じ坪生町4丁目。「坪生大橋」橋脚東側に側道を30m、松岡敏晃さん宅がある。
和装建築の粋を尽くした母屋。日常用の菜園と、庭園を組み合わせた伸びやかな庭は、
草戸千間の再現風景を思わせてくれる。取り囲む塀は、角地のため、
行き交うクルマの目線まで下げた配慮が、これまた麗しい。
隣家への道路拡張整備を機に、本宅を取り巻く全域を整備し、
素晴らしい石垣を築かれた狐原の松岡英雄さん宅は、石垣の角が、
あたかも巨艦がせり出してくるかの様相である。
英雄さんの話では、平成17年6月、府中市行縢の東光建設の石工さんと手伝い2人、計3人が、
24日間の作業。中条の御影石を使い、意外に安く、ン百万円で出来た、という。
その石工さん、引退前の最後の仕事、とおっしゃっていたとか。
味わって、眺めたいものである。
坪生町江戸野地区のため池、滑池を囲む新住宅群は、「坪生ニュータウン」と呼ばれ、
H19・4・1現在の世帯数は、232戸。
この周辺に、大きな看板が目立つ。緑色地の黄色い文字で、「空き巣、ちかん出没注意」であり、
「出没用心」、「出没警報」の三種。周辺の3町内会(江戸野、ひばりヶ丘、坪生ニュータウン)
の連名である。緑に囲まれた水辺のニュータウンに、なんとも物騒な看板ではないか。
そう言えば、坪生駐在所のフェンスには、ここも大きな文字で、「減らそう犯罪 坪生」とあり、
JA坪生支店のフェンスには、これまた同じデザインで、「この交差点 事故多発」と大書した看板。
あってはいけないことへの、警告ではあろうが、無粋ではないか。「居心地の良い坪生へ、
ようこそ」「思いやり、いい町 いい人 いい運転」など、褒めコトバのスローガンがほしくなる。
筑波大学システム情報工学研究科講師をされている掛谷英紀博士が、
ソフトバンク新書『学者のウソ』を発刊、H19春のお彼岸でお墓詣りの途次、
長岡京市にお住まいの同博士の母から、手渡された。
親しみ易そうな新書版である。「早速拝読します」と答えたものの、ちょっと読みかけては、
ページを閉じる日々。なにしろ論理展開が、難解なのである。よほど気合を入れて、
一気に読み進めないと、到底、読破とはいかない。
同氏の略歴をみると、「1970年大阪府生まれ。東京大理学部生物化学科卒業。
1998年東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程修了。博士(工学)号取得。
通信総合研究所(現・情報通信研究機構研究員を経て、現在)」とある。専門は、映像メディア工学、
技術者倫理教育にも従事、とあるが、はてさてなんのことやら。
ここまで書いて暫くした6月10日、思いがけなく中国新聞文化面、『著者に聞く』コーナーに、
掛谷英紀博士の顔写真入で『学者のウソ』が、長文解説で紹介された。共同通信社配信だから、
全国の地方紙に掲載されたに違いない。
なるほど、軽妙に解説されており、「よし、是非買い求めてみよう」と思わせるから、
不思議である。書いたのは、里田明美記者。きっと、掛谷博士の後輩なんやろナ。
平成12年のふるさとだよりに、「72歳、ホノルルマラソンを完走」
との見出しで登場する掛谷敏男さんは、昭和2年生まれ。今年、満80歳をお迎えである。しかし、
週3回のランニング、それも17キロ走を欠かさず走り込んでいらっしゃる、現役ランナーである。
今は伊勢丘8丁目にお住まいであるが、生地は坪生町狐原。 同氏を知る人は、
「とっさん、言やぁ、中国駅伝よぅ。神辺・春日・坪生から選ばれて、
深安郡体協代表選手じゃったからのー」とおっしゃる。その資料を入手した。
中国新聞社発行の『中国駅伝55回史 熱走譜』である。それを見ると、
昭和24年(第16回大会)から3年連続、深安郡体協チームに掛谷敏男さんの名前がある。
昭和24年の時は21歳。駅伝8区の5区16.9キロを担当、30チーム中16位であった。翌25、26年は、
6区11キロで、10位、13位と大健闘。写真を見ると、舗装してない山道を、懸命に力走の様子。
まるで、飛脚走を見る思いである。
そして、70歳近くになってから、フルマラソンに取り組んでいらっしゃる
広島在住の息子さんの奨めで、トレーニング開始。徐々に距離を伸ばし、2年後には、
ホノルルマラソンに挑戦、完走されるという偉業を成し遂げられたのである。
つぼう郷土史研究会では、平成11年末から、『クリーン坪生運動』と名付けて、
月一回ではあるが、学区内の大型放置ごみの回収に取り組んできた。研究会の活動テーマの一つ、
「身近な景観に責任を持とう」の一環である。
クリーン坪生活動を始めて間もなく、学区内から放置自転車が見られなくなった。その後、
高齢者世帯からの依頼で、使わなくなった農機具、不要大型ごみを主として回収している。
私どもの会員の一人であり、平成4年からゴミゼロ運動を実践されている森迫清之さんが、
運動の推進者であり、お師匠さんである。
回収現場での分類、森迫さん宅の車庫に持ち帰っての解体・分別など、判断の全てを、
森迫さんに頼っている。すなわち、《現場で学ぶ環境学習》と位置づけており、
ボランティア活動の原点体験である。
平成14年からは、廃校跡の校舎を菓子製造業者が使用していた旧坪生小学校が、
運動場に散乱放置された大量ごみ回収に取り組んだ。
きっかけは、やはり研究会の活動テーマの一つ、「坪生たずね歩き運動ガイド」で、
坪生小学校3、5、6年生を案内するポイント地点として、
廃校運動場に建立されている記念碑へ案内するが、目を覆うゴミの山に、案内を躊躇していた。
森迫さんの発想から、使用者に頼み込んでの『ゴミ回収をさせてください』活動を始めた。
研究会月例会の帰り、同氏の軽四トラック一車分を限度に取り掛かり、飼い犬数匹を放し飼いして、
拒否姿勢で一貫していた使用者をほぐしていっ
た。
その後の、第一回動員一斉作業では、研究会員32名が結集、45.ビニール袋に、
なんと300袋を分別回収した。現場監督は、もちろん森迫さんである。
「ごみをご縁に、頑なな姿勢をほぐしていくのです」「掃除させていただくのです」
「元気をいただいているのです」の姿勢は、森迫さんの生き方そのものと言える。
ごみを撒き散らせた側を決して非難せず、いつもニコニコ。底抜けの奉仕精神、
プラス思考は一貫しており、頭が下がります。
研究会の月例会でお会いする森迫さんは、いつもおしゃれであるが、路上での同氏は、
グレーの作業服に作業用手袋、運動靴、帽子姿。作業の詰所となっている同氏宅の車庫は、
廃棄物からいのちを復活させたさまざまの品が、見事にキチンと整理されている。モノを大切に、
いや慈しむと言った方がいいか。
森迫さんは、地域の宝物、地域の誇りである。
5月14日夕、FMふくやまの『レディオBINGO 宮沢洋一のハッピーステージ』に、
内藤快範が出演した。
僅か20分ではあったが、つぼう郷土史研究会の経緯から、史跡、自然、
里山再生運動やクリーン活動のことなど、思いっ
きり「居心地の良い、わが町わが里」を語らせていただいた。
宮沢洋一さんは、言うまでもなく福山選出の国会議員さんである。私自身、
後援会などでお名前は良く知っていたが、お逢いするのは初めてである。ところが、声音は、
ベテランアナウンサーの域で、意欲溢れた語り口。もう一人の女性アナ平野敬子さんとのコンビに
乗せられて、あっという間の20分であった。
後日、当日放送分をCDにして届けていただいたが、赤面の至りである。にしても、
求められてリクエストした中島みゆきの『地上の星』は、何度聞いても、
泣けてくるから不思議である。