H23・4・16のNHK・TV「大震災特集」は、「半鐘を鳴らし続け、
津波に呑まれた消防団魂」を報じていた。
岩手県上閉伊郡大槌町の、消防団第2分団員を2週間ぶりに見つけ、きょうお葬式を済ませたと、
涙ながらのアナウンサー氏の声である。
消防団ダマシイ─私達の身近にも、消防団は存在する。
元坪生分団長の掛谷賢次さんに教えていただいた。
坪生には消防機庫が三つある。1班の中山橋北詰め、2班が東池の駐在所前、3班が狐原。
この各班が12.3人で構成され、その全体を「福山市消防坪生分団」と言い、
現在は東池在住の片岡桂さん(46)が分団長を勤めている。
福山市域全体で約3,000人。これが第1〜第8方面隊に分かれ、坪生分団は、
第1方面隊(山野、加茂、広瀬、御幸、千田、蔵王、春日、大津野、坪生、引野)の中の1分団である。
消防団活動は、消火活動に対しては、それぞれ出動手当てが支給されるが、日常の消火訓練、
夜間パトロールなどは、すべてボランティア。坪生小学校の校庭で、夜間、目にする訓練風景は、
年間の活動計画に基づいた競技大会などを前にしての、自主訓練なのである。
先輩から後輩へ、厳しいながらも和気藹々とした絆で引き継がれてゆく消防団魂。坪生分団は、
坪生学区の「安全安心のかなめ」なのである。
H23・3・11 突然襲った大震災は、死者・行方不明者が2万5,681人(4/30現在集計)に
達しようかという大惨事となった。
昨年、ガンとの闘病に僅か一年で終止符を打たれた、われらが盟友二瓶康男さんは、
福島県でも会津地方。栃木県出身の別井榮三さんにも、
とくにご親戚に異変はなかったと聞いてホッとしていたが、
今年早々、2月例会から入会された門馬省明さんのふるさとが、えらいことになっていた
なんと福島第1原発の南50Km、仙台湾岸に面する亘理郡山元町である。4/30付け集計では、
「山元町=沿岸部が壊滅。死者859人、行方不明約100人。約1,420人避難。住宅全壊1,800棟」という、
非情な数字が見える。
「知り合い、親戚に連絡は取れましたが、避難中なので、見舞いにも行けません。
仙台飛行場が回復したら、何とかしてみようと思ってます」と、言葉少なに、
苦渋の思いを話して下さった。…合掌。
平成23年の新春、鎮守の杜神森神社には、今年も1,000余人の参拝者が訪れ、
巡り来る年の平安を祈願した。恒例の、あとつぎ会主催の餅つき・お雑煮接待もあり、
境内は熱気に包まれていた。
今年の巫女は、神社当番である南部(狐原、山ノ奥、江戸野地区)からの選出で、
掛谷文香さん(狐原)と、従姉妹の川高麻美さん(井ノ木)が勤めた。礼儀作法が行き届き、
巫女さんにふさわしく、正月授与品を手際よく販売、居並ぶ神社総代さんも大ニコニコであった。
掛谷文香さんは、岡山日赤病院の看護師さんとして勤務。優しい笑顔と心のこもった手当てで、
病院を訪れる患者さんに大人気。
川高麻美さんは昨年4月、東京大学文科一類に見事合格、現在は同大三鷹寮で自炊しながら、
本郷に通学している現役東大生。
親元を離れて、岡山・東京で頑張るおふたりさんに、幸多かれ!(この項、纉c忠典氏話題提供)
平成22年7月23日、つぼう郷土史研究会の月例会(8月分の先取り)を終えて、
新公民館の駐車場から振り返ると、旧坪生公民館の南側2階壁面に、「福山東部市民大学」の文字が、
でっかく踊っているではないか。
早速、「福山東部市民大学の概要」を入手してみると、会場は東部市民センターが4科目、
東部市民大学(旧坪生公民館)7科目、そして東部地区の各公民館が2科目ずつ、
会場として列記されている。市民大学としては、坪生が圧倒している。
訪ねてみると、大学事務局(tel948-4570)も坪生に置かれ、事務局長と事務局員2人の計3人で、
「月〜金、9時〜17時の常駐3人体制」だそう。学長さんは、もちろんわれらが吉本浩士先生である。
「駐車場に困っているんでは」の問いに、「お宮の参道、ファミリーマート、幼稚園跡地など、
手は打ってあるんですよ」と、事務局員の川久保知恵美さん。
市民大学めがけて1科目30人の学生さんが殺到すれば、
さぞや市民大学すぐお隣りのコンビニさんの売り上げにも貢献するのでは、
と下世話な期待をするのである。
「耕作放棄地解消農園」というのは、いかにもダイレクトな表現である。
─「市民農園」なら、まだしもである。
伊勢ケ丘から東陽台に向かう大通りは、坪生町に入ると、急に狭くなる。東側の小高い清水山は、
道路拡幅工事の掘削途上で、もう何年もかかって、いまだその先が見えない。
その右側手前に位置する「辻ノ池」は、現在埋め立て・埋め戻しなど、
やはり悩ましい姿を曝している。
池の下流に当たる、池堤北側が「市民農園」である。現在は、
1区画5坪単位(年間1,500〜2,000円)で貸し出しており、18組の申し込み者でスタートしているという。
実はここ、ちょうど2年前、「約3反歩あるんじゃが、
郷土史研究会で草刈りをしてくれんかのう」と話があり、掛谷常雄前会長が現地を見て、
「こりゃあ、ワシらの手におえん」と、即座に断わったいきさつがある。
その後、農協あとつぎ会の元気もんの皆さん約20人が、半日で草刈り、
午後には雑木の伐採を完了という手際良さ。耕作放棄地=密林状態は、一気に解消した。
「…地中を這い回っていた根っこには、心底マイッタ」、というのは、入植者の後日談である。
平成22年末ごろ、評判になった映画『海猿』は、海上保安官潜水士の人たちが主役だった。
その後、尖閣諸島をめぐって、中国漁船の衝突事件など、海からの不法侵入者を見張ったり、
海上の密輸を取り締まったりと活躍する、海上保安官の働きが、にわかに脚光を浴びてきた。
海上保安庁は、全国の海を11の管区に分けている。北海道周辺の第1管区から、
那覇市を拠点とする第11管区まで。海上保安官は、国土交通省に属する国家公務員で、
全国に1万2千人いる。本庁は東京・霞ヶ関の国交省と同じ建物に入っている。
坪生町東池平地区の瀬良浩三・利恵子さん夫妻の三男啓二さん(28)は、
現在は霞ヶ関の本庁勤務である。
海上保安学校(京都府舞鶴)を終え配属された門司海上保安部(第7管区)時代の、
凄い表彰状をご自宅で発見し、ちょっとお借りした。
「平成18年6月14日、グルジア籍貨物船PENG XIANGに於ける偽造海員証を使用した不法入国事件を摘発し、
長期かつ広域に亘る徹底した突き上げ捜査により、
中国人犯罪組織による窃盗及び不法入国等の犯罪の全容を解明すると共に、同組織を壊滅した。
その功績は、まことに顕著である…」としての、海上保安庁長官賞である。
いのち懸けで職務に専念した日本人が、ここにも居たのである。
H23・4・6付け讀賣新聞「ひろしま県民情報」紙に、ローズ・クリーンサークルの活動内容が、
会員13人勢揃いのカラー写真入りで大きく紹介された。
代表の森迫清之さん(86)は、『ごみゼロ運動』と、分かりやすく私達に教えて下さっていたが、
むつかしくは『3R運動』と言うらしい。
『リデュース、リユース、リサイクル』、つまり『ゴミを減らす、再利用する、
再資源化する』を意味しているという。
「ゴミではなく、資源です。出会いに感謝しましょう」との、森迫さんの口ぐせはまるで、
あの空也上人に接しているよう。そう言えば、会員の皆さん、森迫さんのにこにこ顔に、
だんだん似て来ていらっしゃる。
19年前の平成4年に発足。われらが郷土史研究会へも大きな影響を与えてくださり、
お蔭で多くの体験も積んできた。
旧坪生小学校の校舎解体に当たっては、丸2年間、計11回147人が出動、現場で直接指導を受けながら、
根気と善意をキーワードに汗を流した。おかげで学区内の大型ごみ回収は、定例化した。
ローズ・クリーンサークルは、居心地の良い地域づくりの、身近に見える、生きたお手本なのである。
平成23年4月、坪生町狐原の集会所東側の道路下に、お堂風の井戸水建て屋が出現した。
コンクリート舗装された進入路も整備されており、新名所出現か?
『堂川を再生する有志の会』代表世話人の掛谷典人さんの話では、
「神森神社秋季大祭の当番組が当たったH.22秋、堂川の冷たい水を飲んでみたいという話になり、
同年末、むかし利用していた全世帯総出の支援を得て、40年ぶりに泥揚げをしました」とか。
その後、進入路、井戸周辺をコンクリート舗装。さらに「当時と同型の建て屋」を完成させたという。
コンクリート資材は、市から。建て屋は棟梁の坂田保さん(大谷在住)。地域の総力と、
智恵(会計上の)で築いた新名所「堂川のいのち水」である。
これからの課題は、「この場所を、いつでも水を飲める状態に」と、
坪生全体の水場の再調査(狐原の松岡英雄会員により、進行中)である。
平成22年秋の叙勲で、瑞寶双光章を授与された神原孝已市議の、受賞祝賀会が、
平成23年2月5日午前11時から、引野の備後ハイツ・ホールで126人が参加して開かれた。
発起人は坪生町内会連合会である。
同氏は昭和32年3月、広島大学教育学部附属福山高校を卒業後、
同37年5月に福山市消防本部の消防士として入庁、以後消防畑を一筋に歩まれ、平成11年12月、
福山地区消防組合消防局局長を最後に、定年退職された。
同12年4月、福山市議会議員選挙に出馬、みごと当選された。現在3期目。
議会では最大会派の水曜会に属し、総務委員会・競馬事業特別委員会委員として活躍されている、
満71才の元気印である。
郷土史研究会の一斉草刈りで、いつも剪定ばさみと脚立を持って、
造園師さん顔負けの働きを見せていた、東陽台在住の七井秀久さん(79)が、4月8日夜、
ご自宅で急死された。
「昼間の畑仕事がきつかった、と言いながら、機嫌よくお酒を飲んで横になってましたら、
急に辛そうにしだして、そのまま…でした。なにがなにやらさっぱりわからなくて」と、三千代夫人。
死因は、心筋梗塞であった。
戒名の「龍瑞院翠宝徹秀居士」には、ふるさと栃木県の話、七つ井戸のいわれ、
何百鉢という鉢植え作品への思い、巨大製鉄工場で青春を謳歌された思い、
或いは幼少期からの将棋に対する執念などなど、永年のお付き合いから湧いて来た住職の想いが、
こめられているのである。
平成23・4/28午前、坪生小六年生全員(116人)が、12班に分かれて、10ポイントを駆け巡った。
(1)史跡の所在を知る(2)班のものと協力して行動する(3)マナーを考える─が「めあて」と、
「六年 担任一同」の、郷土史研への挨拶状である。
そう言えば、今年の六年生は、例年と一味違う。
「おはようございます」「お邪魔しますー」「ありがとうございました」─元気いっぱいの声で、
リーダーが差し出す集印板にサインしながら、こちらも釣られて大きな声になる。
道路の歩き方、あいさつ、言葉づかい─マナーを考えながら歩くとは、さすがは小学高学年生。
掛谷泰彦会員の好リードによると思われるが、故二瓶さんも、お顔をくしゃくしゃにしながら、
喜んでいらっしゃるに、違いない。