坪生名物『ミニ新幹線』は、松岡英雄さん発だった

 坪生ふれ愛フェスティバルは、毎年11月の恒例行事となっているが、 会場となっている坪生小学校グラウンドは、半分を占めて展開するミニ新幹線で大人気である。
 平成23年11月20日のフェスティバルは、第12回めを数える。この日も、 朝10時から午後3時までの5時間、乗客約1,000人を捌いた。
 全体で5両編成。前後2両の機関車をのぞく3両の客車部分に、それぞれ4人計12人が乗り、 約50メートルを一周するのである。
 『園田企画代表松岡英雄』の名刺を示しながら同氏は、「動力源は、 普通自動車のバッテリーです。 今日はJFEのボランティアグループCR 会の皆さん5人が手伝って下さるので、完全無料です。 呼ばれる所によっては、50円とか100円いただきますが、そんな時も、甥とか身内に手伝ってもらい、 無料になるように計らいます。年間、50回くらい声が掛かりますから、車両は勿論、 線路・枕木など道具の維持管理、約50万円の出費が要ります。 女房の理解がタイヘンです」とは知らなかった。
 園田企画とは、H10・5・12付け朝日新聞によると、当時82歳、港町在住の園田常夫さん(故人)が、 鉄道ファンの趣味が高じて製作したミニSL を、地域ボランティアに提供していることに共感、 手伝ううちに、松岡さんが維持管理を引き継がれたと言うわけ。
 JFE・CR会とは、JFEグループの従業員・家族を中心に構成され、 「地域社会の発展に貢献することを目的」とする、任意団体。出資は労組から、会費はゼロ。 当然、選挙運動にも強く関連している。

剣道一筋の、神原育雄さん

 「神原育雄教士七段、ねんりんぴっく出場、おめでとう」の横断幕は、平成22年秋、 坪生小学校の新池フェンスに出現した。
 ねんりんぴっくは、出場資格を「満60歳以上」とし、「全国健康福祉祭○○大会」と呼ぶ、 シニアの全国大会である。広島県代表として選出された折りの、応援幕であった。
 武道界で教士七段と言えば、全日本選手権県代表レベルであり、NKK─JFE ご出身の同氏は、 永年、同社剣道部監督、同部長を勤め、実業団の全国大会には、 今も選手として出場していらっしゃる、現役である。
 同氏の剣歴は、実に永い。昭和39年に興譲館高校入学と共に本格的に剣道を始め、 一年生の時に初段、卒業時は弐段。自衛隊に入った四年間に参・四段。「長男なんで、 北海道への転勤を断わって退職。日本鋼管に入社して五、六、七段。 その間、錬士・教士と昇格しました」と、簡単におっしゃるが、大企業の剣道部を束ね、 一方、地元『坪生剣友会』の指導部長としての40年間という長距離走での、 その道の最高レベルである。
 「かつては50人位いた坪生剣友会も、今は小中高生が数人ずつという淋しさですが、 また盛り返します」と、意気盛んな教士七段。64歳のイケメン剣士、ここにありである。

安心安全の要、『坪生消防団』のこと

 平成24年1月22日、西楽寺全域で「文化財・山林火災、合同消防訓練」が行なわれた。 西楽寺本堂・庫裏及び、東側山林一帯を対象にしたもので、主催は、東消防署、 福山市消防団(坪生・大津野・引野・春日)、福山市東防火協会坪生支部の4団体である。
 午前9時、「火事やーッ」の発声と同時に、 それぞれ所属のユニフォームを着用した各団体のメンバー約150 人が、すべて駆け足、 キビキビとした動作で立ち働いてくれた。消防車五輌は、サイレンがなかった分、 却って不気味であった。
 昨年の東日本大震災でも、自らの命を堵して避難・誘導に尽力した消防団の活動・犠牲が、 多くの涙を誘ったが、坪生の消防団活動を、先々代分団長の掛谷賢次さんに聞いてみた。
 「消防団の成り立ちは、地域密着・歴史的なもので、ボランティア活動の原点と言えますわ。 だから、福山東消防署管内でも、坪生、春日、大津野、引野にしかありません。 坪生分団の場合、定員は18〜51歳の若者41人。1〜3班に分けており、1班が仁井・井ノ木・中組、 2班は東池・西池・葉座、3班が狐原・山ノ奥・江戸野・ヤケザヤ・川原山・ニュータウン。 消防車両は2班が冠成車という最新車両を持っており、1・3班は小型動力ポンプ車です。各班13人編成。 消火活動、訓練参加には僅かの出動手当が出ますが、週三日、20〜22時の訓練はキツイでしょう。 ようやってくれてます。町内会連合会からも、たしか55万円の助成金を頂いてます。 歴代の分団長ですか。内山政吉、掛谷節夫、橋本精二、掛谷孝、瀬良正義、掛谷賢次、 掛谷敏彦、片岡桂、今年から掛谷英樹という順です」と、生き字引の如き返答に、正直驚いた。
 「地域の底力は、ここにもあった」のである。

坪生発『いのちの貯蓄体操』

 坪生公民館での講座は、現在ぜんぶで37課目。文化系スポ系まで、曜日を問わず、 幅広く利用されている。
 中でも最古参の『いのちの貯蓄体操』は、25周年を迎える。指導者は一貫して板野絹枝さんだが、 発足当時のメンバーが凄い。神原ミノル、藤原マサ、橋本スミエ、掛谷トシコ、 盛川ユキエ……歴代の婦人会長ではないか。 板野さんに聞くと、「健康づくり体操として、 公民館を中心に広がっていった、非常に地味な存在でした。身体を壊した主人が、 駐在所勤務を希望して、呉、内海町、坪生へと転勤する過程で薦められたのが始まりです。 結局私が講習会で技術指導を受けて、昭和62 年9月に坪生で始めました。つい最近、 南蔵王にお住まいの岡本弘子さんに福山支部長を譲りましたが、この方は、 福山市民病院の総婦長をなさるなど、すごい方です」と。
 現在は社団法人化している『生命の貯蓄体操普及会』は、本部が愛媛県松山市にあり、 昭和43年4月、当時、市の保険課長だった矢野順一氏により創始された。 東洋の養生術で健康長寿を呼びかけるわかり易いこと、公民館や集会所中心の、 週1回で月2〜3,000円会費という身近さで、全国に広がっていった。
 坪生教室では現在、30人の会員が集っているが、福山地区では、 西部・東部・参画センターを拠点にしている。全国的には、39都道府県に155 支部、指導者は600人。 会員は3万人に達しているというから、すごいのである。

バレーボールチーム『誠クラブ』って、知ってますか。

 旧公民館隣に建設された坪生初のコンビニ『ファミリーマート』は、 4トントラックや大型観光バスも駐車可という、広大な駐車場を持つことから、 「売り上げは県東部一、言う話じゃが」と、壮大な無責任噂話を聞いたことがある。
 そのコンビニの信号機側フェンスに、「祝 全国大会出場!誠クラブ」の応援横断幕が出現したのが、 平成22年の秋、翌23年連続だった。H22は男女とも、H23は女子が、 県代表となって全日本小学生バレーボール大会に出場したのである。この横断幕の仕掛け人が、 実はわれらが会員・纉c宣政さんだったことがわかった。
 この誠クラブ、坪生学区近辺の同好者が参加できる広域の小学生チームだが、 女子チームの監督吉田隆雄さんは、纉cさんの長女千景さんのご主人で、 あの『石ウス収集日本一・石州往来古道』沿いにお住まいなのである。吉田監督は、 日体大からJFE バレー部に入った本格派。同クラブの練習は毎日で、 きびしい指導に耐えての県代表なのである。
 また、誠クラブ男子チームは、駅家小学校体育館が練習拠点で、児玉祐宏監督が率いるが、 坪生小からも数人が参加している。
 なお、『石ウス日本一通り』の吉田監督宅の並び、纉c本宅に近い方の新宅は、 宣政さんの長男猛さん(神辺旭高からJFE バレー部入り)一家がお住まいであり、 この義きょうだい両家の小学生1、2、3、6年生は、誠クラブの有力メンバーである。 この通りは、そのうち『排球選手養成日本一通り』になるかも。

甲子園に響いた「三番ファースト、金尾元樹くん」

 平成23年夏の全国高等学校野球選手権大会。広島県代表如水館高校は、大会8日目の8/13、 東大阪大柏原高校と対戦。延長十回、7─4で今大会3勝目を挙げた。
 その時、甲子園球場に流れた、同校の校歌が素晴らしく、思わず書き止めた。
  「水のように」
 水。
 てのひらにすくえば てのひらになる
 見つめよう この心 しなやかに
 きょうを生きてゆく
 きらめいて きらめいて
 いまここに 水のように
 水。
 青空を映せば 青空になる
 伝えよう この思い すこやかに
 明日を創り出す
 ときめいて ときめいて
 いまここに 水のように
 作詞がなんと大林宣彦、曲は、いま超売れっこの久石譲である。
 タイムリーヒット、逆転打など、何度も塁上でニコニコ顔を見せてくれた元樹くんは今、 奈良県東生駒市の帝塚山学園大学野球部の、寮生活でしごかれている。

長寿善行者に選ばれ、松岡稔さん、東宮御所へ

 社団法人『日本善行会』による「平成23年度長寿善行者」の表彰対象となった松岡稔さん (西深津町在住)は、H23・10・24 、東宮御所へ、日帰りで授賞式に参加された。
 70歳以上で、これまで春秋の善行表彰対象者の中から選ばれた人達で、全国から120 人。 なんと広島県からは、3人という狭き門である。
 今回受賞者の名簿には、「公共生活への貢献」とだけあり素っ気ないが、 平成19年度の同氏の名簿には、「昭和36 年以来、地域の防火・防犯巡回活動、街頭での青少年指導、 子供・老人問題の対応、健康ウォーキング、郷土史の指導など、幅広い活動を実践している」と、 詳しいのである。
 当日の御所での様子を伺うと、
  参集殿へ
  11:45集合、11:50開会行事
  12:10庭に出て、3班に分かれて集合写真
  この後、明治記念館に移動
  12:45〜、会食。
  15:30から接見、16:00終了
  …17:30の新幹線で帰りました、と。
 下世話ながら、「おみやげは」と突っ込むと、「皇居のカレンダー、菊の御紋の付いたお菓子、 集合写真でした」。超感激の表情であった。

大門高弓道部OBの女性2人が、国体強化選手として頑張っている

 平成24年の秋季国体は、岐阜会場である。今年で67回目となる国民体育大会だが、 体育振興より経費節減が優先して、国体出場も次第にシビアになっている。種目によっては、 『中国五県から3チーム』といったように、各県1チームではない。
 広島県弓道女子の場合がそうである。前年の春、国体強化選手として9人が選考された。 その枠に、福山勢3人が入ったのは立派だが、 本国体前の八月のミニ国体を勝ち抜かなければ行けない。
 注目すべきは、「この福山勢3人」のうち2人が、 坪生学区に居住する大門高校弓道部OBコンビであること。
 その一人大野梢さんは、青葉台4丁目在住。大門高、中国学園大学(岡山市)を経て、 現在は福山栄養給食勤務の頼りになる栄養士さん。四年後輩の馬屋原由加さんは、 坪生町2丁目(西池平)在住。大門高、倉敷の芸術科学大学へ。将来、 先生を目指して教員コースで頑張っている。
 広島県の場合、道場の関係で、強化練習はいつも呉に出かけなければならない。 勤務、学業・アルバイトと、むすめ2人は、精一杯頑張っているのである。

まぐら会、ますます盛大に

 坪生小学校卒業生の集まり『まぐら会』は、H23・11/23、第36回総会を、 農協坪生支店2階会場に、各地から73 人を招いて、賑やかに開催された。
 満70歳になると会員資格を取得、招待者名簿に掲載してもらえる。 その次の年には、幹事役が待っている。
 現在、幹事が把握している会員名簿の総数は、359 人。案内状の発送など、大変なのである。 今年の幹事は、昭和27年坪生小卒業の12人が担当した。
 総会は、午前11時開始。まず集合写真を撮り、(1)開会行事 (2)乾杯 (3)アトラクション  (4)コーラス、と続き、次いで、次年度開催幹事が挨拶、『星影のワルツ』斉唱で締め括ったのが、 午後4時ちょうどであった。

坪生学区は、サクラの名所

 平成24年の春は、いつまでも寒波が続いた。梅の花、続くサクラの花も約2週間遅れ、 4/15辺りから漸くサクラが満開となった。
 坪生盆地をぐるりと見渡すと、坪生小学校裏の新池公園の数本、西池大場池堤の八本、 江戸野の小高い山畑、西楽寺山容築山。あとは、旧坪生小学校跡地、 山陽自動車道測道北側のあちこち。
 視点を、坪生盆地から学区に広げて回って見ると、あるわあるわ。『大門砂池公園』は、 元の東陽台郵便局の下の、かつては砂池があり埋め立てられたところ。 今はかなり広いグランドゴルフ場(2面は充分)として、親しまれている。 低い位置なので目立たないが、まわりに大木が。さらに北側に位置する高台に目をやると、 あるわあるわ状態なのである。
 すなわち、『FK 社宅』である。4と9を飛ばして、1から11までの計9棟。その悉くに、 サクラの大木が寄り添っているのである。かつての住人というか、役員さん達が、 懸命に水やりをして育てられたに違いない。
 あの頃、「憧れの公団住宅」型だったFK 社宅も、築後40 数年。失礼ながら、 いかにも「3丁目の夕陽」ロケ現場の雰囲気である。
 で、FK とは、共同機工であり、のちメンテック機工。 今はJFEメカニカルと社名も変わってきている。 巨大企業の機械・電気のメンテナンスを担当する分野とは言え、今は多くを、 社宅外賃貸住宅として貸し出していらっしゃるようである。

雌伏10年、あそこのエヒメアヤメが、満開

 H24・4/下、坪生駐在所東の東池公園(通称三角公園)のエヒメアヤメ80株のうち、 半数の40株が一斉に開花、関係者はもちろん、見学に訪れた人達を喜ばせている。
 10年ほど前、当時町内会長をつとめていた掛谷常雄さんの音頭取りで、タネから苗に育てて、 或いは苗を分けてもらい移植、夏場の水やりを欠かさずの努力が、やっと実ったのである。 地元老人会睦会の今の担当者今橋昭司さんは、「植え替えはしないで、じっとガマンの水やりが、 漸く花開いた感じです」と、表情をくしゃくしゃにして慶んでいらっしゃる。これも、 地域の底ヂカラか。
 通報により、中国・山陽新聞が取材に。カラー写真で紹介され、 大株に濃い紫のエヒメアヤメの大輪がバッチリ。4/末の三角公園には、 遠近からの来訪者がけっこうあり、さて来年からは案内板を建てるか、 そっとしておいた方がいいのか、悩ましいところなのである。

坪生学区体協、なんと12連覇達成!

 H24・6の福山市体育協会総会で、わが坪生学区体協(澤田修次会長)は、 12連覇という偉業を達成、表彰を受けた。
 澤田会長に聞いてみると、「水泳、バレーボールは相変わらず抜群です。卓球、 バドミントン、ソフトボール…年齢別のある種目での、50代、60代のがんばりが、 他を圧倒してます。地域性といえば、その通り。やはり日本鋼管現象でしょうね」。

坪生の地に、極うまラーメン店があった!

 H24・4/末、坪生小学校総合学習の一環として、六年生の歴史探索が行なわれた。 地内11ポイントに会員がそれぞれ待ちうけ、対応した。先導者は、8:30小学校に集合し、 班編成のうえ各ポイントを通過し終わったのが11:30 。「よーし終わった」と、 くつろぎかけた頃、纉c会長からの電話召集命令である。「反省会をするけぇ、 農協前の一滴いうラーメン屋さんに集合ッ」。
 開店してもう2年はなろうかというのに、なにしろ当方は初めて。身を屈めて入ると、 意外にこぎれいな内装で、この日のガイド全員13人で、ちょうど貸切り状態。 とんこつじゃ、しょうゆじゃ、その前にビールじゃ、勝手なことをがなる客を相手に、 髪の毛の真っ白なオヤジさんは、にーこにこ。寄り添うオバサンが注文を確認し、 テーブルに届ける。鶴亀の掛け軸から抜け出たような、好好爺婆である。
 そしてー。すすったラーメンのうまいことッ。博多の長浜風なのか、これぞ笠岡風なのか。 まったく、奥深い味に出会った幸せのひとときであった。 バレーボール一家の纉c宣政さんの話では、「練習帰りの子供を連れて、よう行くんよ」とか。 縁が生んだ坪生の極うまラーメンとして、永持ちしてほしい味を見つけた。

五角柱碑の地神さま

 青木のこんぴらさんの常夜灯とお社は、かつては小高い茂みの中に鎮座されていたが、 一帯が宅地化された時、道路沿いの明るい場所に出て来られた。常夜灯とお社の中間に、 埋め込まれている五角形の碑について、『広報ふくやま』の最近号が、みごとに読み解いてくれた。
 坪生に各地で見られる地神さんは、自然石に「地神」と彫り込んであるが、ここ一ヶ所だけが、 五角形なのである。五神( 天照大神[あまてらすおおみかみ]、大己貴命[おおなむちのみこと]、 少彦名命[すくなひこのみこと]、埴安姫命[はにやすひめのみこと]、 倉稲魂命[うかのみたまのみこと])が、その方角の面に彫り込まれている。
 地神とは、土地の神( 地祇[ちぎ])と、五穀の神(稷[しょく])を祀るのであるが、 この五角形の神道形式は、備中西部には多くあるという。

「たずね歩き」ガイドブック平成24年改訂版、刊行

 創立30周年記念事業の一環として取り組んできたガイドブック改訂版が、完成した。 4版目となる今回の眼目は、(1)説明板の大幅追記・改訂は7カ所に及び、 (2)カットに併用して写真を採用したこと、(3)旧坪生村域に限定した地図のかわりに、 上土居山頂上に設置した展望図を4ページカラーで採用した──ことなどである。 「たずね歩き」の、お役に立てていただきたい。