屋久島から新潟へ、転身

 坪生町東池平の掛谷芳子さんの長女・光ひかりさんは、 屋久島の財団法人屋久島環境文化財団での3年間の研修勤務を終え、 昨年4月から、新潟県上越市にある「NPO法人かみえちご山里ファン倶楽部」に移籍。
自然遺産である屋久島のガイドから、2400b級の頚くび城き連峰の連なりを背景に対馬海流が迫るという、 平野のない山間地に拠点を置く、地域再生のNPO 法人、10人の常勤スタッフとして勤務、というより、活動している。
 実は昨年末、茨城県水戸市で授賞式のあった『地域づくり総務大臣表彰』の22団体のなかに、 『文化伝承や環境教育を推進─山里NPO、地域再生に奮闘─』として紹介されていた。
 山里スタッフの光ちゃんが見つけ、自分たちの活動が紹介されたページと共に、 つぼう郷土史研究会のページもFAXで親元に送っていた。
 2400b級の高地の山里で頑張る光ちゃんのエネルギー源は、家族の応援と、 故宗平さんのど根性DNAなんやろな。

ベルギー帰りのお孫ちゃんが4人

 坪生町狐原地区の、松岡英雄さんところの話である。英雄さん・良子さんご夫妻には、娘さんがお二人。
長女あゆみさんのご主人(津守秀彦さん)は、あの『クラレ』にお勤めである。
創業者大原孫三郎に学ぶ目的で、坪生から倉敷を訪ねたのはいつだったか。
 ご結婚後、2男2女に恵まれた津守夫妻。その後クラレのヨーロッパ担当となり、ベルギー在住すでに5年。
中3、小6、小4の子たちは、首都ブリュッセルの日本人学校に通っている。
 あまり馴染みのないベルギーを、昭文社の『世界&日本 地図帳』で調べてみた。
 正式名称は「ベルギー王国」とあり、人口は1071万人。
フランス、ドイツ、オランダに囲まれ、対岸がイギリスという位置である。面積は、北海道の約三分の一。
首都はブリュッセルで、言語はオランダ語・仏語・独語。民族は、フランス人が58%という、まさにユーロ圏のへそである。
 在任期間の五年を終え、今年12月には津守一家は、福山市坪生町に向け、帰国予定とか。
英雄さんご夫妻の話では、「跡取りとして決めた訳でなく、一番下の孫が5歳ということもあり、 子育て援助のための同居として、受け入れ準備をしてます」と、うれしそう。
 坪生小学校で、幼児フランス語が飛び交うかも、である。

えっ、これぜーんぶノンアルコール !?

 総務省の『地域づくり総務大臣表彰』の授賞式は、去る2月9日、茨城県水戸市で開かれた。
 平成24年度表彰は、全国32団体である。つぼう郷土史研究会からは、神原幸雄顧問、 纉c定会長、掛谷典人副会長の3人が出席したが、各団体ともけっこう随伴者が多く、 祝賀会場のホテルの大ホールは、300人を超える人たちで沸き返っていた。
ところがである。各テーブルに並んだ飲み物は、すべてノンアルコールであった。
 飲む飲まないの個人差はあろうが、初めから「飲ませない」「出さないぞ」という発想、姿勢は、如何なものか。 遠くは沖縄からも北海道からも招いておきながら、もてなしの心はどこに行ったのか。

満百二歳で、矍か く鑠しゃくと

坪生町仁井地区ご在住の、森川亮作さんをご存知の方は多い。それもその筈、 生まれも育ちも坪生町仁井。明治44年1月お生まれの、満百二歳。日常生活は、 全く不自由なく過ごしていらっしゃる。
 尤も、平成21年春以降は、娘さんの嫁ぎ先である、ご町内大塚の「坪生ロイ ヤルテニスクラブ」の金島さん宅で、居心地よく過ごしていらっしゃる。四人 きょうだいの末娘・金島豊子さんの話では、「仁井の兄嫁が亡くなってから間もな く、引き取りました。トイレも食事も、何も特別なことはありません。左耳がす こうし遠いくらいで、テレビも新聞もほどほどに見てます。なにしろ畑の面倒を よう見てくれるので、こちらが急かされるほどです」と、やさしい口調である。
 今年2月には、東京上野へ、九人連れで往復されたとか。道中、平坦な所は手 押し車に乗ってもらいながら、一泊旅行をされたというから、驚きである。九人 連れとは、「兄の和彦、姉二人、孫二人と曾孫二人、私と父亮作です」と豊子さん。 上野の森美術館であった、和彦さんの作品展示会観覧が目的であったという。

坪生学区体協、遂に13連勝達成

 福山市体育協会に所属する福山市内79学区が、年間6種目(バレーボール、ソフトボール,硬式卓球、軟式野球、水泳、 バドミントン)の総合成績で順位を決める。平成24年4月〜9月の成績で、坪生学区は、遂に13連覇を達成した。次年度 送りの表彰式の、この7月6日に澤田会長に授与される。
 同会長にお訊ねすると、6種目のうちソフトボールだけが、一般(フリー)・壮年( 40代)・実年(50代)・シニア(60代)・ 女子フリーに分かれており、この辺りが年齢層の厚い坪生学区の強みかな、とも。
 澤田会長は現在、バドミントンと同じエリアで競技する『ミニテニス』の面白さに魅かれており、「そのうち種目団体に 発展させたい」と、意欲は尽きないのである。

弓道県チーム率い、ねんりんぴっく仙台大会に出場

 満43 歳で弓道を始めた西楽寺Kは、今年で弓道歴30年になる。満55歳以上が集う平成24年県シニア大会弓道の部(6/7三原)で、福山地区からは3人団体で3チームが出場。福山が1、2位を独占した。
 その優勝チームに居た西楽寺Kが、県チームの監督に指名された。補欠を含む7人を率いて、10/13〜15仙台で開かれた「ねんりんぴっく宮城大会」に出場。
チームは予選で敗退したが、監督・交代選手での交歓試合では、Kが2射皆中し、優良賞を頂戴した。
 その後、学区町内会の『顕彰規定』に基づき、金一封を頂戴し、恐縮している。
この顕彰規定、知らない人が多いと思うが、分野は、芸術・文化・スポーツに特に顕著な功績をあげたこと、全国規模の大会・展覧会への参加、としている。

栄光の元樹くんは今

 いま手元に、平成23年11月28日付の中国、朝日新聞のスポーツ欄がある。中国には、『如水館、貫禄の逆転』との見出しで、金尾元樹くんの正面写真で、4打数 4安打3打点をたたえ、朝日は、球恋(たまこい)というコラムで、『主軸復活、ここぞの3打点』の見出し、プレー写真入りで金尾元樹君を取り上げている。  このあとチームは、甲子園の大舞台で、3試合連続の延長戦を勝ち進んだあと、残念ながらエラーがらみで岡山関西高校に3-8で敗れた。  さて、これほど注目を浴びた元樹くん。JFEスチールの野球部に招かれるかなと思いきや、奈良県東生駒山にある帝塚山学園大学に進学、野球部の強化として期待された。  同君の話では、監督との相性、人生観の違い、それに父(克己さん)の急病が重なり、大学は一年で退学。現在は、サカイ引越センター福山で鍛えられているという。  すっかりスリムになった同君は今、「サカイ福山チーム」の結成に希望を託している。

あの富士山が、世界文化遺産に

 「富士山 世界遺産へ」─H25・5・1朝日新聞は一面トップ、3a角の巨大活字で報せてくれた。登録名称は、当初の「富士山」から、「富士山と信仰・芸術の関連遺産群」と変更された。  つぼう郷土史研究会では平成11年11月、二泊三日での臨地研修に富士山をテーマに選んでいる。一日目は、静岡県島田市の大井川に架かる木橋「蓬莱橋」へ、そして三保の松原泊。二日目から、富士山クラブ代表のエコガイドを頼んでいる。一行は13人連れ、この時の会長は、森川昭さんである。
 この時の感動を、『臨地研修感動篇─富士山エコツアー“富士の大自然にひれ伏す”』と題して、タタミ一畳大のパネル写真集として残している。また、つぼう郷土史研究会だより16号(H 12・6・25)の紀行文として、宮川義胤さんは「富士は待っていた」、松岡稔さんが「歴史とロマン、大自然を新発見」を寄稿され、元気なころの橋本壽子さんの短歌「富士は輝く」10首で、びしっと締めて下さっている。
 富士山を、さらに大切に、である。

まぐら会、ますます盛大に

 坪生小学校卒業生の集まり『まぐら会』は、H23・11/23、第36回総会を、 農協坪生支店2階会場に、各地から73 人を招いて、賑やかに開催された。
 満70歳になると会員資格を取得、招待者名簿に掲載してもらえる。 その次の年には、幹事役が待っている。
 現在、幹事が把握している会員名簿の総数は、359 人。案内状の発送など、大変なのである。 今年の幹事は、昭和27年坪生小卒業の12人が担当した。
 総会は、午前11時開始。まず集合写真を撮り、(1)開会行事 (2)乾杯 (3)アトラクション  (4)コーラス、と続き、次いで、次年度開催幹事が挨拶、『星影のワルツ』斉唱で締め括ったのが、 午後4時ちょうどであった。

掛谷友紀ちゃん、弓道で2位入賞

 坪生町東池平在住の掛谷友紀さん(28)は、4/20千代田町での弓道大会に出場、近的女子の部で、みごと2位入賞 を果たした。8射4中が二人いたが、順位決定で、的の真ん中に当てて決めた立派なもの。
 千代田町は、広島からバスで30分北に走る県北に位置するが、町村合併で現在は北広島町と呼ぶ。弓道界での交流は福 山とは古い。この日の大会は、町営弓道場の築10周年記念大会。近隣から55人の弓友が集まり、福山からは8人が駆け付 けた。
 この日活躍した友紀さんは、暁の星高校で弓道を始め、倉敷中央看護専門学校(3年制)を経て、現在は福山市民病院の 脳外科勤務の看護師さんである。
 実は弓道では、彼女のお兄ちゃんが凄い。4歳年上の満みつるくん。大門高校弓道部を経て広大へ。ここの弓道部で大活躍の のち、マツダへ入社。二年目の今年は、すでにレギュラー入りを果たし、勤労者大会、実業団大会に名を連ねている。
   マツダ広島本社の開発担当、結婚も間近いと聞く。ますます落ち着いた正射必中が見られるものと、期待したい。

松岡友ちゃんの次女が、女医さんに

 坪生町東池平出身の松岡友夫さんから、「40年間勤めました広島市役所を、本年3月末で定年退職しました」との挨拶 状が届いた。
 彼は昭和49年、大阪工専(現・摂南大学)卒後、広島市役所に入庁。以来、建築畑一筋。環境問題にも取り組み、広島 市域の街づくりにも貢献してきた。この4月からは、株式会社広島建築住宅センターに迎えられている。
 ついでと言っては申し訳ないが、成績抜群と聞いていた二人娘はどうしてる、と聞くと、お姉ちゃんは、神戸薬科大を 出て薬剤師に。今は新大阪に住んで、専業主婦。次女未み佳かちゃんが、久留米大医学部を6年がかりで卒業して、今年4月 から広島市民病院の研修医として勤務してる、とか。
 広島市に縁の深い方、市民病院に行かれたら、『松岡未佳先生』の名札を探してみてほしい。

クリエイト・マニュアルの神原憲二さんが亡くなられた

 平成元年発刊の、『改訂版 坪生たずね歩き』以来であるから、もう25年来のお付き合いである。
その神原憲二さんが、亡くなられた。つぼう郷土史研究会の初代会長・神原利一さんのご次男であり、 岡山市内の大型出版社を退職後、郷里坪生に本拠を置いて、備後地区のみならず、関東地区も視野において、出版情報 活動に励んでおられた。
 わが郷土史研究会は、前述のガイドブックのほか、『写真集 坪生がわかる写真館』や、『現場から学ぶ環境問題』など、 かなりレベルの高い出版物も発刊してきた。これらはすべて、神原憲二さんの指導に依拠してきた作品である。
 「癌とのたたかいに入ります。クリエイト・マニュアル社も閉めます」との通知をいただいて、一年後の訃報であった。
平成24年11月28日、享年66歳。坪生学区という地域社会にとって、誠に残念な、文化資産の喪失といえる。

祝賀・宴席の乾杯は、日本酒で!

6/8付中国新聞は、「日本酒で乾杯する習慣を広げる条例」を、東広島市議会が可決したと報じている。同感である。  確かに最近の宴席、祝賀会の始まりの乾杯は、大抵ビールが多い。で、勤務時間内の行事となると、ノンアルコール ビールの登場となったわけか。
 会場を設営し、もてなす側の総務省関係者は仕事中かもしれないが、受賞者をなぜ同列に見るのか。いろいろ議論の末 かも知れないが、もてなしの根本が抜け落ちている水戸会場であった。
(内藤快範)