忠典さん、今どうしてるの・・・

 昨年10月、朋友纉c忠典さんが急逝されました。生前、彼は「今が当たり前でも、将来はどうかな?。良いことは継承し、悪しきは改めなければ・・・。言い難いことも誰かが言わなくては・・・。今日の自分が在るのは、周りの方々のお陰であり、これからはそのお返しをする人生を歩みたい・・・」と語られていました。
 無から有を生む術にも長け、皆様ご存知の『つぼう男子ングチーム』を発足させ自ら先頭に立って活躍され、今や住民の方々より愛される「おっさんアイドル」でした。
 幼少頃、お父様を亡くされ、一家の柱として頑張ってこられた貴男の一生。「我が人生に悔いは無し」と言っていましたね。友人の眼からは、頑張り過ぎでした。自分の時間が少なすぎた、と感じられます。
 これからは、自分だけの事を楽しんでほしい。偶には夢の中で、お茶を飲みながら語りたいね・・・。
         (掛谷 泰彦)

ご存知ですか、漢詩「坪生賛歌」

 【坪生賛歌】
   登馬鞍山拝旭光     (馬乗り山に登りて旭光を排す)
   新春燦燦曙光紅     (新春燦燦として曙光紅なり)
   邑里伝承倣光学     (邑里伝承して光学に倣ふ)
   蒼眠隆昌思莫涯     (蒼眠隆昌思ひは涯なし)

 平成30年の「つぼう郷土史研究会総会(4/29)で、古参会員の松岡英雄さんが、自慢の詩吟の調べに乗せて紹介して下さった漢詩です。
 (訳) 馬乗山に登って初日を拝む
     新春のすがしい気分で東を望めば空があかね色に染まり 陽光が輝く
      (まさにこれからよいことが起こるきざしを感じる)
     故郷に伝わる伝統を受け継いで先輩に見習う(さすれば)町民は栄え、夢(目標)は限りなく広が     る。
 漢詩の作者は、吉本浩士・福山市東部市民大学前学長。松岡英雄氏は、「わしが勝手にフシをつけだだけなんヨ」と謙遜されるばかり。、

我等のカープに鯉(恋)する女子

 野球には何の興味もなかった私ですが、一昨年、つぼう郷土史研究会主催の観戦にさそわれ、主人と参加したのが初体験です。ルールは判らないけど、気分はすっかりカープ女子(?)になり切り、興奮しまくり、ストレスも発散出来、一日で、昨日までとは違う私を発見しました。
 以降、機会ある毎に参加し、目下7連勝中で、勝率10割。毎日でも行きたい気分です。同行された皆様は、楽しく話し易い人ばかりで、道中も短く感じられました。球場での見知らぬ人とのハイタッチ。連帯感はたまらぬ魅力ですね。
 主人との共通の趣味が持てたことも有難いこと。会話も弾み、監督になった気分で評価合戦です。
ピンチになれば、眼を閉じ、耳を塞いでの神だのみ、(見るのがこわい)。勝てば天下を取った気分になり、スポーツニュースを繰返し見て満足し、負ければチュン太郎。今やカープは、家族の一員です。
 今年こそは「日本一」になって欲しい。いや必ずなります。カープ女子になるべく、ファッションも楽しめ、一石二鳥。観戦毎にカープグッズを主人に買って貰って(買わせて)います。
 我が家は、双子の孫に恵まれ、数年後には、一家揃って観戦に行くのが夢です。人は、何歳になっても青春。夢中になれることがあるって幸せ!。身体は年相応になりますが、好きなことは続けて生きていきたいと思っています。
 観戦時に、併せて行われる研修も楽しい勉強です。今年は原爆記念館を見学し、改めて平和の有難さに感謝。私達は先人達の多くの犠牲と努力の上に生かされているのですね。
 永久に続いてほしい平和の祈りを捧げ、カープの勝利を見届けられ、「最高で〜す」の一日でした。次回も楽しみにしています。世話方さんは大変でしょうが、「是非、是非」どうかよろしくお願いいたします。
       (掛谷 美佐子)

カープ豆知識

 ▲昭和25年  広島カープ誕生。勝率0.299で、8球団中、最下位
 ▲昭和32年  広島市民球場完成
 ▲昭和34年  2軍がウエスタンリーグで優勝
 ▲昭和43年  初のAクラス入り
 ▲昭和50年  チームカラー赤が定着。「赤ヘル」の愛称が誕生。悲願のリーグ初優勝
 ▲昭和54年  初の日本一達成
 ▲平成21年  マツダ・ズーム・ズーム球場が完成
 ▲平成26年  「カープ女子ブーム」始まる

 球団設立68年間でリーグ優勝8回、日本一を3回達成。選手達個々の力はすばらしいが、彼等を育てた監督・コーチや、ユニークなスタジアムを造った球団職員達。まさに地産地消を地でいく理想の球団であろう。

坪生学区町内会連合会 会長に推薦される!

 4月に行われた学区の町内会連合会の総会に於いて、連合会会長の任に就くこととなりました。
 私で良いの・・・?正直、多くの不安と迷いもあります。本部役員10名の中、6名が郷土史研究会の会員であり、陰日向なく私を支えて下さいますに違いありません。
 会員の中には、会長又は重要ポスト経験者も多く、連合会の進むべき道についての、ご助言をいただければ幸いです。
 故纉c忠典前会長の口ぐせであった『5年10年先を考えての組織づくり』が、私に課せられた責務かと考えています。“変える”“止める”勇気を持ちつつ、皆様方のご理解とご協力をお願いいたします。
   H30・4・29   掛谷 泰彦

新入会員 4名を迎える

 金尾 厚司さん  (松崎)
 小出 純二さん  (鶴丘)
 谷島 一美さん  (川原山)
 掛谷 満男さん  (山の奥

「無人の空き家」「高齢者の一人暮らし」は、よそ事ではない

 愛媛県今治市の松山刑務所大井造船作業場から、受刑者が脱走、二十三日目に漸く逮捕された。
 平穏な瀬戸内海岸に漸く笑顔が戻ったようだが、向島地区に空き家一千戸の存在、高齢者の一人暮らしの問題など、地域社会の絆・見守りの重要性が問われたのである。また、検問体制の厳重さを反映して、日常生活(通勤・通学・通院)などに長期間にわたって異常が生じ、現にわが家の2年生教師は、毎日往復2時間の通勤ロスに泣いていたのである。

坪生学区おしゃべりサロン  早くも3年

 平成28年8月に産声をあげた「坪生学区おしゃべりサロン」は、もう3年目にはいっております。毎月第4金曜日、10時から14時まで(入退室の時間は自由です)。参加費は100円。歌、オカリナ、手品などまじえて、四季折々のおもてなしとおしゃべりで楽しんでいただいております。お気楽にお越し下さい。スタッフ9名を紹介します。
 川久保知恵美さん   岩原 福枝さん    掛谷 時子さん    森 珠美さん
 徳永 マサミさん    服部 美代子さん   山下 正子さん    掛谷 洋子さん

善行市民賞・市自治会研究大会賞に、坪生学区から
 纉c 和夫さん  桑田 達展さん

 平成29年度の善行市民表彰は、町内会長及び学区防犯組合会長を長年務められた纉c和夫さんが「せんだん賞」を受賞されました。
 また、平成30年3月開催の福山市自治会運営研究大会では、西池平町内会の、やはりわれらが会員 桑田達展さんが町内会長を10年務められ表彰を受けられた。

福山で初の全国藩校サミットが

 江戸時代の藩校への理解を深める「全国藩校サミット」が3年後に、県内では初の開催となる福山で開かれる。また、戦災を免れた伏見櫓と筋鉄御門について、国宝化に向けた調査にはいる方向ともいう。

「城のあるまち福のまち」  「福山城駅」も出現か。

 福山城築城400年のキャッチフレーズ、ロゴマークも決定。最近の福山市広報誌が、垢抜けてすばらしくなってきた。
 そういえば、昨年末の中国新聞に、「福山駅を福山城駅に」との見出しで、福山市長が市議会で、発言したり、JR西日本のみならず経済界とも協議する意向を示したようである。鞆の浦をめぐる視線もガラリと変わってきた。重伝建・記憶遺産・日本遺産など、まことに適確にねらいを澄ませてきた結果ではないか。

震度6強で、福山城天守閣倒壊の恐れ

 4月16日付朝日新聞は、福山市が進めていた福山城の耐震診断で、震度6以上の地震で、天守閣4階部分倒壊の恐れがあることがわかり、築城400年を迎える五年後までには、方策のとりまとめをする方針という。なお、岡山城は、夜間限定で、7月から天守閣の貸出しに踏み切ることを決め、既に16件の申し込みがあるという。

坪生のサクラは、でかくて古くて、たいしたもんや!

 平成30年4月1日。坪生盆地のあちこちで、満開の彩を見せてくれているサクラを、メモを片手に記録してみた。
 (順不同、満開限定)
   ・江戸野地区         3本
   ・西池平地区         7本
   ・西楽寺(大木3本)     7本
   ・葉座新池公園        5本
   ・狐原地区(公園周辺)   6本
   ・川原山地区(公園周辺) 30本
   ・東池平地区          3本
   ・旧坪生小学校周辺     7本
   ・仁井、井ノ木         2本

だいじょうぶかいな。 太陽光発電の動きが、坪生盆地のあちこちで。

 坪生町江戸野地区の墓地周辺が、広範囲にわたって伐採され、山の斜面に展開していた墓地は、遠方からでもくっきりと際立つほどに姿を現し、これから梅雨を迎える時季だけに、保水力は大丈夫かいな、など今から心配なのである。
 土地の人の話では、太陽光発電の設備設置のための大がかりな伐採らしいというが、山に囲まれた地形を宅地に開発された江戸野地区の場合、何とも落ち着かない景観が出現したものである。

坪生を明るくして下さる  坂本直子さんの素敵な笑顔

 中国新聞4月7日付け「びんご新風」欄に『走健塾コーチ』として坂本直子さんの健康美溢れた素敵な笑顔が紹介された。アテネ五輪に出場し、7位入賞。引退後、ご結婚を機に、われらが坪生町に移り住んで、ランニング教室走健塾コーチとして、ご活躍(但し、緑町グラウンド)されているという。塾生は百人を越す。詳細は、ホームページで、どうぞ、とご本人。