11月27日、広島県庁において広島県消防関係者表彰式が行われ、東防火協会会長の掛谷賢次さんが消防関係功労者として、広島県知事表彰を受賞された。この表彰は、永年(22年間務められた)にわたって地域防災の向上に尽力された功績を称えられたものである。
今回の受賞で県知事表彰は2回目とのこと。前回の表彰は、平成11年9月10日、福山市消防団分団長として自治消防の職務に精励され、その使命の達成に貢献された事による表彰である。消防団員として、32年間もの長期にわたりご活躍されたとのこと。
東防火協会の会長としても引き続きご活躍されている。地域の防火活動になくてはならない存在の方である。
私たちの命や財産を守るため地道な活動を続けてこられた事に改めて感謝したい。
福山市では、村上カヨ記念基金として、善行市民を表彰する制度が設けられており、毎年12月に「善行市民表彰式典」を催しています。
今年度は、郷土史研究会発足以来、坪生郷土史便り発行に昭和59年の初号から34年間に渡り常に筆をとり、会長を補佐する副会長として貢献してこられました。内藤快範顧問は昨年12月15日善行市民表彰を受けられ坪生学区町内会、郷土史研究会から30余名がお祝いに駆け付けました。
これからも、健康に留意され益々のご活躍を願っています。
坪生町には、2名の土木常設委員がおられるが、坪生町の西部地域を担当する土木常設委員が掛谷進さんから掛谷満男さんにバトンタッチされた。土木常設委員は、福山市の道路、橋、河川、水利、水防、溜池等の維持管理や公有地の境界に関することを職務にされている。
異常気象による災害が多く、溜池等の問題も数多くある中、福山市とのパイプ役、地域の安全を守る要として東部地域担当の纉c芳男さんともどもよろしくお願いいたします。(みなさん、つぼう郷土史研究会の会員である。)
緒方恵美子さんには、8年間もの長い間、館長として、坪生の公民館活動の中心となり、地域を見守り続けていただいた。
この度、館長が緒方恵美子さんから松浦治伸さんに代わった。松浦さんは、坪生学区の民生児童委員、井ノ木町内会会長、防犯・防火委員、神森神社の総代など多方面に渡りご活躍・貢献された方である。
いうまでもなく、公民館は市の業務の一翼を担うとともに、町内会活動・生涯学習の場を提供するなど社会活動の拠点である。
松浦館長の経験が公民館活動に大いに生かされ、公民館を中心とした活動がさらに活発になることを期待する。
公民館主事の西江さん、加藤さんともどもよろしくお願いいたします。
坪生学区体育会は、学区民運動会やグラウンドゴルフ、バドミントンなど年4回の町内地区対抗試合を開催されている。スポーツを通じての体力づくり、運動することの楽しさやチームの親睦を図ってこられた。
さらに、福山市の大会では19連覇を達成した強豪チーム(地区)の中心となり、長年に渡って活躍されてきた方が神原幸治さんである。
本年度から、会長になられた平櫛勉さんには、良き伝統を受け継いで頂くとともに20連覇達成を目指して頂きたい。
真室 明美さん (青葉台)
谷本 和之さん (東陽台)
瀧口 敬冶さん (川原山)
昨年11月21日、坪生公民館に、突然メールにて、掛谷宗一博士についての照会が届きました。リヨン大学数学科で、教育研究をされている方より、数学の啓蒙書を和訳するにあたり、博士に関する簡単な歴史等を書き加える為に、ネット検索をしたところ、つぼう郷土史研究会のホームページを見つけられたとのことです。
まさに、ホームページの威力のすごさは、如何ばかりかと痛感させられました。
永年の懸案であった、ホームページの更新について、今年度よりスタッフを配置し、本格的に取り組むこととなりました。
3月2日〜3日東部市民センターを会場に東部文化フェスタが行われ、地域のイベントには毎回出演している熟年男子ダンスグループ「つぼう男シングチーム」のステージ発表・活動の様子が、3月14日、RCCテレビの「イマなまっ!」という番組で放送された。
事前の練習風景や前日のインタビューもあり、興味深く楽しめる内容であった。
このチームの平均年齢は70歳位とのことらしいが、「持ち味」は、リズムに乗ろうと頑張っている姿であり、その踊りが揃っていない(?)ところなのである。失礼ながら、それがこのチームの魅力であり、観ている人達をドッと笑わせ、ホッとさせ、ハッピーにさせるのである。
このチームは、故町連会長 纉c忠典さんを中心に8名で坪生公民館講座として立ち上げられたのが始まりである。今年で6年目になり、月2回の例会でその腕(?)を磨かれているのである。
「イマなまっ!のJ−POPを踊る王」として、このチームが『王様』に認定され、チームリーダーの梶山泰さんの頭に王冠が燦然と輝いたのである。
これからも、「地域・熟年男子のスター」としての活躍をお願いいたします。
なお、メンバー募集中とのことで、興味ある方は「公民館まで連絡をお待ちしています。」とのこと。
東部市民センターに集結する15町内会それぞれが、「ふくやま東部文化フェスタ」に向けわが町をアピールする写真3点を出展した。
会員の金尾広士さんの作品『初日の出』が、来場者の投票の結果圧倒的な得票で最優秀に選ばれた。 その写真は、初日の出を上土居山山頂からとらえた一枚。逆光の下にふるさと坪生の地があり、はるか遠くに瀬戸内の海・空を望むことができる。
朝焼けの光に彩られ、新年を迎える希望・気持ちが伝わってくる作品である。
ちなみに、上土居山は坪生の地をほとんど見渡せる絶景のポイントで、麓から徒歩20分程で登ることができる。「こいのぼり」が泳ぎ、「展望案内図」が設置してある。四季の移り変わりはもちろん、秋には
「せんぶり」の白い可憐な花を見ることができる。
散歩のコースとして、是非一度は登ってみていただきたい。
江戸時代、地区の集会所や休憩所の役割をもって建てられた辻堂、お地蔵や薬師を祀って健康や安全を祈ったとされている。坪生にも3カ所の辻堂が昔のまま、又は再建され残っている。
狐原にある地蔵堂「宇根峠の堂」は、小学生の登校班の集合場所となっており数年前から朝の集合時に子どもたちが手に雑巾を持ち掃除をするようになった。
小学校でもその事が取り上げられ全校児童に紹介された。子どもたちは自分たちがやっている事が大きく評価されたのだ。その事もあって、高学年から低学年へとつなげられ現在でも拭き掃除は続いている。
毎日の掃除のおかげでお堂の床はつやを増し、美しい。
ウォーキング途中の地域の方々の休憩はもちろん、狐原の小学生や中学生もこのお堂を好んで使っている。
お堂で小学生がドリルを広げ友達と宿題をしている姿、帰宅後待ち合わせて数人が座って楽しそうにおしゃべりをする姿、静かに読書をしている姿、そんな姿を見ると実にほほえましく子ども達自身が愛着をもって使っている気がする。この愛着は、長年掃除を続けてきたから自然に身についたのかな・・・と思う。
この朝の活動を見守り、励まして今日まで続けてこられた地域の方々に敬意を表したい。
例会の臨地研修や案内などで数回訪れたことのある新中八幡社の社殿のことである。
新中八幡社は、「坪生荘と呼ばれた鎌倉時代から室町時代にかけての総鎮守。坪生荘の解体とともに総鎮守も分裂。以後、江戸野地区の氏神として、祀られている・・・」(「坪生たずね歩き」より)とのことである。その歴史もさることながら、訪ねるたびに社殿の板壁に開いている無数の「穴」が気になっていた。何かの目的で開けた穴のようには見えないし、不思議に思っていた。
最近、偶然観たNHKのテレビ番組で、やはり同じように板壁に無数の穴を開けられた神社のことが放送されていた。誰も穴を開けるところを見たことはないらしいが、専門家によると「アオゲラ」の仕業らしい。アオゲラとは、キツツキ科の鳥で「巣穴や虫を獲るためだけでなく、目の前にあるものに穴を開ける」という習性がある・・・とのこと。
私の、無数の「穴」の不思議が見事に解けたのであった。それは、テレビで観た神社の壁に開いた穴と、新中八幡社がそっくりだったからである。
新中八幡社の歴史を想うとともに、この無数の「穴」を開けた生きもの達の営みの歴史を感じる。 (ちなみに、社殿に開いた穴の数は、60個ほど。)
昨年11月、鶴丘町内の近隣地に、突然墓地建設問題が持ち上がり、初めてのことで、右往左往しました。
幸い町内の皆さん、学区の皆さんのご協力を得て、ついに業者が諦め、無事解決しました。運動を通して得た若干の教訓を記してみます。
1.住民の考えはさまざまであり、よく話し合って、意見の一致するところで活動すること
2.法律のあいまいさは解釈の余地を残すためにある程度必要
3.しかし福山市の墓地条例は問題あり(説明会の項目がない)
4.運動にはスピードが大切
5.業者と行政に対する意思表示
6.住民の署名
7.看板の設置
8.住民集会
9.各方面への協力依頼
今回のことで、地域社会の』助け合いの大切さを学ぶことができました。
石崎 徹
昔の物は知れば知る程、深さがあり、面白さが沸いて来ます。今年のフェスティバルのふるさと館は、入館者が去年よりはるかに多かったです。それは、調査・陳列・説明等、会員の努力が実を結び多くの人に興味を持たせたのが要因と思えます。
おもてなしコーナーで、椅子に座ってコーヒーを飲みながら、モニターを鑑賞できるのは、最高のひと時であったようです。来場者は、親しみの笑顔で”ありがとう"と云って帰られました。次回も又、期待がもてそうです。
吉本和子
私たちの坪生盆地には、40近いため池が残されており、それぞれに名前がつけられていることは知られている。
今年にはいって、備後地方各地のため池の決壊が報じられ、 県知事さんが深刻な表情で今後策を発表されたのは、たしか3月頃だった。
西楽寺山門をなめら池に向かった辺り、水際をぐるっと廻って青木方面に抜ける道筋が、かなりの幅で崩れ落ちている。
その後の雨量が少ないため、連鎖崩落とまではいってないが、こわい風景である。
坪生盆地」のあちこちに突如、軽量鉄骨とネットが出現すると、整然とした風景に驚くのであるが、これが放置状態になると、わやくちゃになるのも早い。どこの、なんという会社が設置知ったのかという表示は一切なく、責任の所在が一切あやふやなのである。