昨年の6月に仁井町内会館の裏にある広場に、仁井町内の人達と花壇を造り、誰故草(エヒメアヤメ)を10株植え付けた、真夏は水やり、冬は落葉を敷くなどきめ細かな管理をした結果、4月に紫色の小さな花が咲き始め、地域の人が観に来られた。ご婦人が「35年前にこの裏山の中で見た花と同じ」と懐かしい話をされていました。
62年前、昭和37年に仁井の山でエヒメアヤメの自生地を発見した。段々数を減らし、現在は消滅してしまった。実に残念です。エヒメアヤメは絶滅危惧種の植物です。今後、仁井町内の人達は100株を目標に(坪生エヒメアヤメの里)を作って行きたいと張り切っています。
纉c 芳男
境 和幸さん (仁井)
小屋敷 敏一さん (ニュータウン)
橘高 行格さん (神村町)
渡邊ミチ子さんは、民生・児童委員として10数年にわたり町民の身近な相談役として精力的に活動され、地域の社会福祉活動に貢献されてきました。また、坪生学区全体の代表・まとめ役として活動されています。その功績に対し、福山市善行市民表彰「せんだん賞」を受賞されました。おめでとうございます。
ご存知のように、民生・児童委員は、地域の高齢者世帯・ひとり暮らしの高齢者などの見守りや、子育て、介護、福祉サービス等あらゆる生活に関する相談の応じ、それを行政や専門機関につなげる「パイプ役」です。
今後とも、坪生学区の福祉のためよろしくお願いいたします。
約2年間にわたって行われてきた川原山池の提体補強工事がほぼ完了した。ブロックで築かれた提体は、立派なものである。
今年の春から水を貯め始め、今年は田植えにも間に合い米作りに支障はなかった、しかし、2年間水がなかったので、池には草木が生い茂っている。このまま水を貯めても大丈夫か、樋が詰まってしまわないかと思ったものである。今も新しく生えた木が水面に顔を出している。土手の道も整備され、8月7日より通行可能になった。
坪生の各所で、宅地開発が進んでいる。それに伴い史跡があったと思われる所は、福山市による発掘調査が行われている。
ここ「おつぼうさん」の東側一帯もそうである。2月より1カ月近く調査が行われ、住居の柱の跡などが確認された。今年に入り、3件目の発掘調査である。
産土神として坪生を見守り続けてきた神森神社。その最大の行事が秋の大祭である。コロナ禍にあり見送られてきましたが、3年ぶりに神輿が巡行することになりました。
「もう江戸野は出たそうな。」「11時に辻の池広場を出るらしい。それじゃあ狐原の荒神さんへは15分頃じゃなぁ。」「まだかいなあ。」「待ち遠しいなあ。」 大祭に5番組の町内を初めて神輿が回るのですから、江戸野町内会館・辻の池広場・狐原荒神さんに集まった人びとの顔は、どこか誇らしげであり、喜びに満ちていました。
先頭の車から聞こえてくる祭囃子。神輿が中央に止まり、加藤宮司さん、当番組の大当さん、総代の方々が車から降りられ、宮司さんの祝詞の後、口々に「おめでとうございます。」と挨拶を交わされました。一緒に来ていた幼い子が「お神輿、きらきらしてきれい。」と見上げながら手を叩いていました。
お神輿を間近で見ることのなかった子どもも大人も、ワクワク感でいっぱいです。大祭が今までよりずっと身近に感じられた瞬間だったように思いました。
地域の人びとに愛され、これからも脈々と続けられる大祭になるようお願いします。
2022年(令和4)年発行の第38号で、《大塚の「うし地蔵さん」交通事故に遭遇!》と記事にした。「うし地蔵さん」が、現地の宅地造成(7区画)に伴いこの場所からの移動を余儀なくされた。宅地造成案が出た当初は、地権者の好意で現状のまま此の場に残すよう購入業者と交渉して頂いたが、合意に至らず移動となりました。
幸い、地権者・購入業者が共に、この様な状況を苦慮され地蔵の受け入れを「西楽寺」住職に相談、快諾を頂いた事で昨年晩夏に「鐘つき堂」上側共同墓地の参拝道路を左に分岐した先の「土砂加持法要」石塔群前に大切に祀る事が出来ました。感謝いたします。
渡邊 直文
1975年(昭和50)4月に、現在地に移設された坪生小学校の正門南側に立っていた桜の木が、今年の1月11日に伐採されました。
この桜の巨木は、1986年度(昭和61年度)卒業生により植樹された記念樹で、昨年まで春には、きれいな花が咲き、観るものを癒してくれました。
この記念樹は、植樹されて38年経過と場所の生育条件が良かったことで、幹の太さ最大68pの立派な巨木に育ちました。
所が、その弊害として大きく育った根が自然石で作られた石垣を押し出し倒壊の危険な状態になってしまいました。この問題を解決する為に「伐採」と「移植」する方法が検討されたが、木が巨木すぎる事で難工事になる事と樹木内部の腐敗などが予測され移植後の維持管理に不安があり、最終的に「伐採」に決定。
そこで伐採した記念樹の処分法を卒業生に諮り、形の有る物に残す事になりました。
この件で「つぼう郷土史研究会」に相談があり、会で協力することになりました。
渡邊 直文