御紙輿、台車に乗る

 坪生の鎮守さま神森神社のおみこし二基が、木製の台車に乗せられ、台車につけた長いひもを、 子どもを含む大勢の人が引っ張り、坪生地内を練り歩いた。
 昨年秋、例祭のことである。
 担ぎ手の人数不足傾向と、人数(二基で最低二十四人は必要)は足りても、経験や力不足という、 これもやはり現代的理由により、編み出されたもの。
 製作者は、西池平の瀬尾徳男さん。がっちりとした台車は、総檜造り、 二基で五十万円未満という格安の作。この御神輿、その前年に二基とも大幅修復され、 新調同様となっていた。その際の費用四百五十万円に対し、 各方面から寄せられた寄進が六百四十万円。地域の心意気が、 一気に台車新調となって実を結んだのである。

坪生の地に、名所一つふえる

 昨年秋、『福山名誉市民』の称号を贈られた桑田笹舟師の歌碑と顕彰碑が、 授賞式に前後して、井ノ木の天神さん鳥居右側の、同師旧居跡に建立された。
 福山在住の門人、親戚、有志で構成する『笹舟古里後援会』の尽力によるもので、 大きな自然石の一面に、同師の揮毫による

  一千枚
  かきて無能と
  以布ことを志ると
     いふ
    楚能無能可
      良出発

 という文字が躍動する歌碑が、ひときわ目をひく。
 周辺はきれいに整地され、荒れ地変じて記念公園という風情である。

鐘つき、餅つき、初日の出

 年末年始の恒例風景ではあるが、「ここ一、二年の人並みは、すごい」の一語である。
 まず筆頭は、神森神社の深夜初もうで。実は、 坪生青年団奉仕の搗きたて餅による雑煮がお目あての子どもたちが大半とは申せ、 今年は千五百人は越したろう、という。持ち寄るモチ米、労力不足など、少数精鋭の青年団も、 いま深刻に悩んでいる。
 それに先立つ、除夜の鐘。神森さんと丁度、南北向かい合う西楽寺であるが、実は、 つい十年前は、住職により始めから終わりまで一人で突いていた。 つまり「除夜の鐘はウチで聞くもの」とされ、神聖視されていたようである。 七、八年前から鐘つき志願者が現われ始め、 「行きゃあ、つかしてくれてんな」とばかり急激にふえ、ここ四、五年は、 百八つをつき終わったあともゴーンゴーン。午前二時ごろまで、 除災招福の音はこだまするというわけである。
 一夜明けた元日の早朝。坪生地内最高峰の馬鞍山山頂は、今年も約百三十人の人たちで、 陽気ににぎわった。呼びかけ団体は『明るい町づくり坪生学区委員会』(会長掛谷良彦さん)。 元旦の朝六時半、坪生公民館と大谷台入り口の二手から山頂に向かい、日の出の七時十四分に、 一斉にバンザーイ。
 薪の搬入や接待品の準備など、前日からの裏方の奉仕(老人会有志)の苦労も、 この一瞬、報われるのである。

説明板を、自前で補修

 滑池の堤防に立てていた説明板が全面的に剥がされたのは、もう一昨年の二月のこと。 やり替えるには一基二万円前後ともいわれ、二十八本の説明板を徐々にとはいえ、 やり替えるとなると、費用の負担だけで大へんだと思案投げ首の態であった。
 今年一月三日の、土曜会例会で思わぬ妙案が出た。
 『カラートタンにしようやあ。へーならなんぼかかろうに。一みゃあ二五〇円ぐりゃのもんよ。 上から打ちつけりゃあええが。書き手?、火曜会にいっぴゃあおってじゃが』
 二日後、会員二人は卸し団地の金物店で品定め、とんとん拍子にコトは運んだ。このあと、 説明板の文章書き取り、傷み具合の選定、清書用の線引きなど、多くの会員が力を出し合った。 書き手は、会員の掛谷忠義さん(公民館長)と小倉宏得さん(書家)の二人である。
 こうして、ぷわぷわと浮いたり、すっかり剥げ落ちた説明板は、 会員の手づくりで見事によみがえった。毛筆でペンキによるという点、 トタンの折り曲げから打ちつけまで慣れぬ作業という点、プロはだし、 とはいかないところは、乞う御容赦。

坪生学区文化祭、盛況

 学区あげての第一回文化祭は、昨年十一月二、三日のこと。
 つぼう郷土史研究会は、「パネル写真特集」と「吉本義美さん収蔵品」を出展した。
 パネル写真の主テーマは、会員の神原軒三・掛谷常雄両氏所蔵の写真構成『懐かしの写真館』。 一人息子の無事帰還を祈る、母のうしろ姿(神森神社で、神原キミヨさん)が印象的であった。
 坪生町松崎出身の吉本義美さんは、現在広島市内で塗装店を自営されている。 坪生在住以来現在に至る、実に30年間の収集品すべてを、この文化祭に提供された。 被爆の実証品や同氏の加工品など、ふるさとへの思いとともに、私たちの胸を打った。

東朋中学校、誕生

 昭和三十二年四月、学制改革により新制中学が発足した。以来、坪生村(当時)生徒は、 培遠中学校へ通うこととなった。
 近年、生徒数の激増からプレハブ応急校舎の林立、 校庭の狭隘という異常事態が指摘されていたが、いよいよ念願かなって、新設校が誕生した。 所在地は幕山台、大谷、坪生町ヤケザヤの接点ともいえる角地。福山市の東の端、 その名も「東朋中学校」である。
 通学地域は、坪生小学校区(坪生町と大門団地全域、青葉台四丁目)、 幕山台五・七・八丁目、大門町の一部(大谷)から、約七百五十人が今春から通っている。

善行市民、身近の人々

 市の広報紙「福山市民」年末号に毎年、善行市民表彰が発表される。 わが坪生学区からも何人かの名前が見え、なんとなくうなづいてはいるが、いつ、だれが、 なんで選ばれているのか、紹介してみよう。
 推薦母体は、福山市民運動推進協議会である。坪生学区の場合、各町内会長、 各種団体長計四十一人のうち十五人が常任委員として審議、推薦する仕組み。 毎年九月中ごろ推薦を締め切り、十一月初めの市民運動推進福山大会で表彰される。 団体と個人に分けられ、団体へは、感謝状と金一封(村上カヨ基金より二万円)、 個人へは感謝状と楯が贈られる。
 発足以来の表彰者を列記してみた。団体は割愛するが、わが郷土史研究会は、 昭和47年度の表彰団体。
〔個人〕
昭47 内山周文 公民館、老人会長 ・掛谷満夫 遊具の提供など
昭48 金尾菊治 老人会、遺族会長 ・藤田哲雄 町内会連合会長
昭49 掛谷エイ 老人会、婦人会  ・橋本国松 各種団体で献身
昭50 内山政吉 市民消防団副団長 ・轡田信雄 PTA活動 ・橋本定一 防火、防犯活動
昭51 藤原 正 婦人会長として  ・吉本準一 民生、衛生委員
昭52 掛谷節夫 交通安全協会役員 ・神原兼松 老人会活動 ・渡辺 薫 保護司、婦人会長
昭53 神原 稔 市老連活動   ・土田昭次郎 各種役員として ・内山芳男 納税組合、老人会
昭54 掛谷忠義 校長会長、市P連 ・掛谷良彦 町内会長として ・喜多村積 町内会役員として
昭55 神原栄一 町内会長ほか  ・神原孝已 PTA会長として ・橋本精二 消防分団長ほか
昭56 桑田卓人 町内会長ほか  ・篠崎行雄 町内会役員ほか
昭57 内山周文 市民運動推進活動 ・掛谷繁視 町内会長ほか ・成田美加子 人名救助
   西山泰弘 人名救助     ・橋本義人 町内会長ほか ・松岡章已 衛生委会長ほか
昭58 榎本周次 老人会長として  ・掛谷 孝 消防団役員として ・神原 将 町内会長として
昭59 石田 勉 子ども会会長ほか ・桑田 一 文化財保護活動ほか
昭60 掛谷元春 老人に杖提供ほか ・神原利一 諸団体活動に尽力
昭61 掛谷 正 地域に用地を提供

山陽自動車道は、路面舗装待ち

 いま坪生盆地は、山陽自動車道工事の重機の音も殆どなくなり、 来年三月の部分開通のための路面舗装待ちという、至って静かな春日和。 つれてウグイスののどかな鳴き声が戻ってきた。
 桜や桃の木が少ない坪生盆地に、いま彩りを添えているのは鯉幟(こいのぼり)である。 誇らしげにゆらゆらと、約二十本。学区をあげて、 例えば「桜の植樹、目標五百ぽーん」といかないものか。環境の激変を、 ただ見ているだけでは能がない。