交通事情激変 ― タコやき屋さんにも異変 ―

 坪生東部のバス道沿い、丸一自転車の近くに店を構えていたタコやきショップが、店を閉めた。
 山陽自動車道の側道が全通したのに伴い、クルマの流れは、すっかり側道に移った。 とくに笠岡、井原方面からのクルマが、相変わらずのネック、 元天満屋酒店跡を避けて側道に流れ込む。通行量の激減が、 とうとう店を閉めさせてしまったというわけ。
 替わって登場したのが、坪生保育所より少し西よりの側道沿いのタコやき・お好みショップ。 ソースの味がいいと、仲々の繁盛ぶりである。
 ここ二、三ヵ月、商業上の異変といえようか。

側道事故、多発

 山陽自動車道の側道が走れるようになったのは、昨年末から。 「市民病院まであっという間じゃあ」「農協―かけや薬局前の大通りの通行量が、 ひどう少のうなったのうや」―交通事情の移り変わりが話題になっていたが、 側道と在来道との、出合いがしらの事故が激増している。
 坪生駐在所に聞いてみると、今年に入って今日(四月二十日現在)までに起きた、 側道での物損事故は24件。その他地域が計5件だから、いかに多いかがわかる。 そのうち7割が、坪生大橋(狐原入り口)南側の個所という。
 カーブミラーが側道各所に設置されたのは、今年にはいってからだが、それ以前は、 中山橋の南北両側に多発していたそうだ。因みに、坪生大橋には、 なぜか今もカーブミラーはつけられていない。
 一週間に一度は、ウインドーの破片、あるいはへこんだクルマが放置されているのを見るにつけ、 全く肝が冷えるのである。

二枚橋に、ガソリンスタンド開業

 坪生町内に、初のガソリンスタンドが建設中である。バス停二枚橋の三差路角、 つい最近まであった「こきん」の跡地である。すぐ南側は山陽自動車道が走り、 立地条件は抜群の位置。「土居石油坪生給油所」と建設中の看板に掲げてある。
 一世帯に二台三台という時代、クルマ社会の象徴ガソリンスタンドが、 坪生の中心地に居を構えた、というわけである。
 追記…4/10宅配されたビラには、「勢いのある街、坪生にフレッシュオープン」とコピー。 五月三日開店とか。勢いのある街、とはうまくおだててくれたものだ。

火事 三件

 この一年、坪生の地で全焼、半焼、山火事と、なぜか火災が相次ぎ、地元消防団は大奮闘である。
 その1.昭62・6・6 午前八時半ごろ、大塚入り口の渡辺さん方から出火。 藁屋根にトタンを覆った同家はたちまち炎に包まれ、全焼した。
 三男英治さん(三八)が出勤したあと、一人居たキクエさん(七七)は、 たまたま通りかかり第一発見者となった渡辺登美代さんの声かけで、一命をとりとめた。
 その2.昭62・11・10 昼すぎ、西池平の桑田孝一さん方納屋から出火。 ちょうどまん前の田を耕作していた掛谷常雄さん(東池平、会員)の通報と協力で、 直ちに地元消防団が出動、二階に居た孝一さんの母静子さん(七八)を救出するとともに消火活動。 福山東消防署からポンプ車が到着した時は殆ど鎮火状態という、大活躍ぶりを示した。
 その3.昭63・4・5 センバツ高校野球決勝で宇和島東と東邦がぶつかり合っていた午後一時半ごろ、 シベール製菓(坪生小元校舎)すぐ裏手の、神森さんの山から出火、山林約2反分を焼失した。 原因は子どもの火遊び。子ども自身の通報で、大事に至らずに済んだが、当時強風が吹き荒れており、 ひとつ間違うと元校舎も本殿も焼け捨ちたかも、と関係者は胸をなでおろしている。

稲藁(わら)に触れて

 恒例となった坪生小学校学区文化祭は、十一月二十二日、同小で開かれた。
 新館二階の集会室をあてがわれたつぼう郷土史研究会。今年の特別展テーマは(1)寺小屋時代から、 戦争前夜に至る教科書の変遷を、実物に見る(2)稲藁に触れる ― の二本立て。
 見るだけより、触れたり作ったりの方が喜ばれることを立証したのは、老人会の協力を得ての、 わら工品実習。教室の中央を思い切って広くとって設けたわらぞうり、むしろ編み、 それにお正月用のしめなわづくりコーナーには、根気よくわらをよる老若男女の姿で、 終日ごったがえした。
 また、掛谷秀夫さん(東池平)作のしめなわのいろいろも会場に彩りを添え、その出来ばえに、 感嘆の声しきりであった。
 なお会場の周囲には、すでに作成していたパネル写真十三枚をはりめぐらし、 会場に流れるわらべ唄のメロディーが、独特の郷土史展示場のふんいきをかもし出していた。

お寺の周辺、整備すすむ

 西楽寺の築山後背地が、大きく変わりつつある。
 松が次々に枯れ、雑木に覆われていた山が、昨年末ごろから徐々に片付けられ、 そのあとに大きな割り石を土止めに組んだ、参道が整備された。
 今年三月中ごろには、その一番高い位置に十三重の供養石塔が建立され(この石塔は、 山陽自動車道上り走行車から良く見える)、萩の木一〇〇本、桜、さつきなど、 植樹も徐々に進められている。
 同寺北側の竹やぶが、仲々手の込んだ墓地に変身したことと併わせ、明るさ、思いやり、 そして檀家の心意気が随所に見える、西楽寺周辺である。

公民館、みごとにヘンシーン

 坪生公民館が、うれしい変身をとげた。約一・八倍となった延床面積、 建物西側に非常階段もつけられ、まず外観が見違えるようになった。
 床下部分にはめ込まれた「年金積立金還元融資施設」のプレートが目を引く。すなわち、 国庫補助を得ての大改造というわけである。
 自動ドアの入り口、男・女・障害者用と区分されたピカピカの水洗便所、 以前の会議室の広さほどもある調理実習室。そして二階の会議室は倍以上も広くなり、 百二十人が机を並べて会議できるという。
 床はすべて天然の板貼りで、あたたかさ、明るさいっぱいに変身した公民館である。

益々いきいき、老人会

 三世代交流(ゲートボール、しめなわ・竹とんぼづくりなど)、寝たきり老人の慰問、 年4回の空カン拾いなど、諸活動への結集の良さを誇る老人会だが、 坪生学区内の老人会の仕組みと人数を紹介してみた。
・共栄会(東部=仁井、井の木、井の木前、瀬戸谷各町内会53人。会長は桑田達男さん)
・汗牛会(中部=中組第一、同第二、青木、峠各町内会67人。会長は吉本正男さん)
・福寿会(西部=東池、西池、葉座各町内会58人。会長は金尾岩男さん)
・恭寿会(南部=江戸野、狐原、山の奥、ひばりヶ丘各町内会74人。会長は藤原正さん)
 以上4ブロックを併せて「坪生学区北部老人クラブ連合会」として今年度発足、 初代会長に松岡章巳さんが選ばれた。
・友寿会(川原山、ヤケザヤ各町内会55人。会長は佐藤八平さん)
・若葉会(鶴ヶ丘、池上各町内会57人。会長は山田武敏さん)
・松葉会(青葉台四丁目町内会56人。新発足で、会長は穴井正さん)
・二ツ葉会(大門団地町内会50人。会長は土田昭次郎さん)
 計8ブロックを併せて「坪生学区老人クラブ連合会」と称し、470人を擁する大組織である。 この連合会長には、神原利一さんが引き続き選任された。

ちろりん村、知ってますか

 坪生町の南隣り、大門町大谷に『童心劇ちろりん村』の文字が見られるようになったのは 昨年春ごろから。藁屋根を覆ったトタンをまっ赤に塗って、 白ぬきの大きな字が鮮やかで、何ともユーモラスである。
 十年前に結成した福山市内のアマチュア劇団(中学生から社会人まで二十三人)の事務所として 使われているもので、夕方には同劇団代表の朝野獏(ばく)さんが、近所の小・中学生を対象にした、 塾としても活用されている。
 空き家となった農家再生の、楽しい一例といえよう。

北欧風建物、出現

 特別養護老人ホームとして、関係者から期待と感謝を集めている東光園(坪生町黒坂、蔵田勇園長)が、 北欧風建物二棟を増設して、新たなスタートを切った。
 新たな設備、機能とは、(1)痴呆性老人専用施設=三月一日から三十人収容、 五月中には五十人にふやしていく。入所者は近県含む広範囲である。(2)在宅の寝たきり、 虚弱老人を対象に、入浴・食事・リハビリを実施するデイ・サービス(月〜金、毎日約10〜17人。 送迎付)の施設(3)介護者の便宜のためのショート・ステイ(一週間程)施設も併用――などである。
 経営母体は社会福祉法人「東光会」(小林芳治理事長)で、 白い壁に黒っぽい三角屋根の瀟洒な北欧風建物は、バックの緑と見事に調和している。 蔵田園長の話では、北欧視察のさい、 スウェーデンで見たローセンルンド病院のイメージを再現したとのこと。 山陽自動車道を走ると、半地下式のため運転者にとっては単調な風景の坪生地内で、 オーッと声をあげるほど目を引くのが、この建物である。