坪生小学校旧校舎
明治4年(1871)、『坪生啓蒙所』として発足。東池平、横田、西樂寺、池平と、
校地を転々としてあと、『坪生尋常小学校』として狐原の荒神社に23年7カ月とどまった。
この地へは明治41年(1908)4月、『坪生尋常高等小学校』として平屋校舎(76坪)が落成、移転した。
その後、大正9年(1920)8月、校舎の西側に2階部分(32坪)を増築。
セレモニー目的の礼法室・裁縫室として使用した。
さらに昭和12年(1937)10月、従来の平屋建て部分を取り壊し、2階建ての新校舎を新築、
落成した。明治41年以来、昭和50年(1975)4月に現在地に移転するまでの67年間に、
1,961人の卒業生が巣立っていった。
坪生小学校現在地への移転と共に、旧校舎は取り壊される運命にあったが、
いろいろないきさつから、製菓工場として貸与、建物・周辺とも荒れるに任せていた。
つぼう郷土史研究会の3年に亘る『クリーン坪生活動』により、放置ごみ(資源)は悉く撤去したが、
所有権者である神森神社総代会は、解体撤去を決定、業者に依頼、平成17年2月、
現在の様な更地となった。
研究会有志の依頼で、焼却を免れた旧校舎の階段一対は、現在、展望台として、
旧運動場に蘇えっている。