宮の前新涯地(みやのまえしんがいち)

 元和(げんな)元年(1619)の備後国知行帳(ちぎょうちょう)によると、 坪生村石高672石余。その後、神森神社を囲む形で、馬場池から松崎堂、瀬戸にかけて、 沼地の一部をせきとめ、埋め立てにより新涯地を造成した。完成は寛文11年(1671)。 それから14年後の石高360石と推定され、かなり広大な新涯地であった。
 福山城下の新涯地は、市村・深津・引野に始まり、わずか50年の間に沖野上・多治米、 さらに手城・大津野・川口へと広がり、大規模干拓の熱気が、坪生の地にも伝わってきたと思われる。

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