峠の番所跡(たわのばんしょあと)

 石見(いわみ)銀山は、大永6年(1526)に九州博多の豪商神屋(かみや)寿(じゅ)禎(てい)によって発見 されて以来、約400年に亘って採掘されてきた、日本有数の鉱山である。
 江戸幕府の誕生とともに天領となり、300年の幕府の財政を支えてきた。 その銀を運ぶ道を『銀山街道』と呼び、尾道・笠岡など瀬戸内海の積み出し港に向けて、 指定された街道を運搬していた。
 銀の輸送は、総勢400人位、馬270〜280頭で、馬の背には、銀や副産物の銅を10貫(37.5kg) ずつ入れた箱を振り分け(計2箱)にして、運んだ。幕府の決算期に合わせて、 輸送は毎年11/下〜12/初と決まっていた。
 通常は、尾道港を目指し、稀に笠岡港に向かったかと思われる。その街道筋に設けられた番所は、 通行人を一々検問する権限を持っていたに違いない。坪生町峠(たわ)の桑田 一(はじめ)氏(故人)と、 桑田利雄氏住宅地が、その位置である。
 石見銀山遺跡は、現在の島根県大田市大森町の広大な山中にあり、 隣接して約1kmに亘って、古い町並みが残っている。平成19年7月に、世界遺産に登録され、 注目されている。

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