博済堂(はくさいどう)医院跡
「本(もと)藤田」の屋号で、長く旧屋敷のままだったが、
瀬戸在住の故藤田義方氏(歯科医。14代文泰氏三男)が別邸として、再建された。
同氏の父・文泰氏は、『昭和初めまで近隣9ヵ村を、馬に乗って診察に回っていました』(同氏談)とのこと。
江戸時代、福山藩ゆかりの漢方医で、宝永8年(1711)の記録
「坪生村諸色指出帳(しょしきさしだしちょう)」には、すでに『医師弐軒』と書かれており、
藩主とのゆかりは、それ以前と思われる。
文泰氏は漢詩・書に長じ、「温故斎」の号で書も多い。
神森神社参道入り口の日清戦役記念碑の文案も、同氏によるもの。