十二神(じん)さん
明治初年、新政府の神道国教化政策「神仏判然令」によりおこった廃仏毀釈(きしゃく)運動は、
全国的規模で、寺院、仏像などの破壊を招いた。
坪生の地では、破壊行為には至らなかったようで、例えば、
それまで神森神社のご神体として祀られていた虚空蔵菩薩像は、破壊を免れ、
嘉永2年付の再興棟札とともに、西楽寺に移され、現在に至っている。
この十二神さんも、正しくは「薬師十二神将」、或は「十二薬叉(やくしゃ)大将」といい、
日光(にっこう)、月光(がっこう)両菩薩を脇侍(わきじ)とする薬師如来の眷属(けんぞく)である。
従って十二尊の神将は、いずれも甲冑(かっちゅう)を着けた武将の姿をとる。
すぐ上に社(やしろ)のある「こんぴらさん」と共に、西楽寺本尊・薬師如来との関連が濃い。
モロ木の古木根元に祀られ、『近くに貝塚あり』と昭和2年の記録にある。