おつぼうさん

 「坪生村史」では、『平安後期から鎌倉時代にかけ、坪生盆地を開墾、 経営した坪生氏の代々墓と伝えるが、地方豪族にしては規模が小さく、 主な石塔はいずれかの地に移したのではないか』と記述している。
 一方、昭和2年著の「坪生村郷土史」は、『大塚におつぼうさまという墓あり。 坪生の地頭職の墓ならん』と書き、近くの八幡社(祠)について、『渡邊家の祖先の地頭が祀る』 とも記している。
 これらからは、「坪生氏の代々墓」「地頭職渡邊氏の墓」と、二通りに受け取れる。 しかし、『地方豪族にしては規模が小さく…』との一方的指摘を疑問とすると、 坪生氏=地頭渡邊氏となる。
 すなわち、坪生氏は、坪生之庄解体後は、地元に帰農し渡邊氏を名乗ったと 考えられるのではないか。
 鎌倉時代の様式を示す石塔群は、貴重である。
 この墓地群はかつて、『中土居(なかんでい)屋敷地の北側奥に、 おやしろ式に祀られていた』といい、中土居渡邊家の変遷と共に、現在の姿に至ったようである。

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