鎌山の窯跡
この地は、平安時代の窯跡(かまあと)「鎌山遺跡」として近年注目を浴びている。
陶山(すやま)(笠岡市)から坪生、大門にかけての土壌を見ると、青白色粘土層が通っており、
この地でも、昔から大壷布目瓦の破片が出て、農耕者泣かせの畑といわれてきた。
昭和57年2月、ここから約200メートル北側の滑池(なめらいけ)の突端部(字新中 あざしんちゅう)周辺から、
続いてこの地点から、奈良時代あるいは平安時代と推定される土器片、
布目瓦が大量に採取された(現物はすべて福山城博物館の収蔵庫に収蔵されている)。
このうち、軒平(のきひら)瓦の紋様が奈良国立文化財研究所の目にとまり、現地調査の結果、
平安京・高倉宮屋敷跡(現財の京都市中京区の中京郵便局付近)から出土のものと
一致することがわかった。どのような運搬手段で、どんな経路を通って、
当時の都へ運ばれたのだろう。
言い伝えでは、『大昔、この平地に大きな薬師寺が建っとったそうな』とも。