馬鞍山(まぐらやま)
古くには『新中八幡社から馬鞍山頂上まで、馬の競走をした所』と言い、
新しくは『福山藩主が国境(くにざかい)を巡検した時の小休憩所』と伝える(坪生村郷土史)。
坪生全地区の雨乞いの場としての龍王さまは、ここから少し下がった所だが、
頂上には国境の神としての塞(さい)の神、愛宕(あたご)さまが祀られている。
現在、福山城博物館友の会古文書部会で解読作業が続けられている
「土屋家日記」(蔵王町市村、土屋大作氏蔵。市重文、全48冊)を開くと、慶応年間の頃に、
『3月4日、殿様御巡見、4日夜上竹田村皷庄次郎殿宅御止宿、5日朝同村御出立、
坪生村馬鞍峠御小休…』と記されている。
馬場池―艮(うしとら)神社―番所前―東亜池―中山の地蔵堂―茶店前をたどる石州往来を
通って馬鞍山に向かう行列が、目に浮かぶようである。