清水山古戦場

 室町末期の戦国時代、周防(すおう)(山口県)の大内氏と、出雲(島根県)の尼子氏が、 中国地方をめぐって争っていた天文16年(1547)、大内方の毛利・小早川軍は、 尼子方の神辺城主・山名理興を攻めんと、海路から備後・備中の境の辺に進み上陸、 坪生荘の要害・龍王山(清水丸)を突いて、これを抜き……と古記録は語っている。
 周辺に「ヤケサヤ」「ヤナゲ」「エンショウバ」などの字(あざ)名が、当時をしのばせる。
 清水山攻略後、坪生から神辺城に向け、尾根伝いに、ほぼ直線コースを北進したと考えられている。

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