番ノ池堤防跡
現在の坪生小学校東北300メートルあたりに、一段と高い所を東西に走る水路がある。
番ノ池の堤防の名残りである。この堤の東側の字(あざ)を「番ノ池尻」、
それより内側(小学校寄り)を「番ノ池平」という。
この堤は、西池平の「日の出屋」に向かっており、これを基準に「西池平」と呼んだ、とも伝える。
水路は、川原山地に端を発し、清水山、狐原の東側をう回、堤防上を通って、
西池から神森神社に向かう田をうるおす、重要なかんがい用水である。
宝永8年(1711)の記録には、坪生地内のため池は「大小41ヵ所」とし、
その一つひとつの名を記している。その中には「番ノ池」は見当たらない。しかし同記録の中に、
免税地として、『5石2斗 番之池新涯』とあり、池を干拓し、開墾間もないことを示している。
番ノ池の名の由来は、弘法大師築造の讃岐の「万濃池」からきている、とも伝えられている。
近年、山陽自動車道の貫通に伴い、堤防の姿は殆ど消えた。