西山城跡
坪生の地での古城跡として、古記録には「仁井山城」「南山城」「大塚山城」、
そしてこの「西山城(西備名区には『一名、池原城又神原城』と記述)」を記している。
いずれも南北朝戦乱期に、その使命を終えた(1340年ごろ)と思われる。
約200年後、戦国時代の要害=砦(とりで)として清水山が記録に登場する。
『神原采女正(うねめのしょう)、同和泉守(いずみのかみ)」の名は、
西山城主として諸記録に見られる。同氏は、仁井の合戦(南北朝時代)で竹田庄・鼓覚弁の率いる勢力に敗れ、
自刃したとも伝える(坪生村史)。
西山城が戦国期(1480年〜)に存続したとすれば、城主は西山氏。
清水山の後詰めの役割をはたしていたと考えられる。
もっとも西山氏は、『現・高屋団地の谷に落去』『内山氏に名を変えた』『地元に帰農して、橋本姓を名乗った』など諸説がある。