伝・唐人墓

 掛谷宗久氏裏の竹やぶの中にたたずむ小さな古い石塔を、「唐人墓(とうじんはか)」と呼んでいる。 「坪生村史」でも、『或は鎌倉時代に遡(さかのぼ)り得るものかも知れない』と記述している。
 唐人(とうじん)は「からひと」とも読み、「韓人」の文字も当てる通り、中国大陸、 朝鮮半島両方に用いられてきた。「小畑助七伝説」(「坪生村史」参照)と結びつける説もあるが、 むしろ、掛谷氏(上土井(かみどい)及び西楽寺に残るくど墓の様式とともに、 坪生の地と古代朝鮮の陶磁器生産技術者といった面での結びつきを追求してみる必要があろう。

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