塞(さえ)の神と地神(ぢじん)さん
このあたりの字(あざ)名を「焼サヤ」と呼ぶ。『平家滅亡のころ、
源氏勢に追われた平家の落人(おちうど)が、刀の鞘(さや)を焼き捨て、武装放棄したところ』
(故橋本定一氏談)と伝える。
すぐ近くに戦国時代の古戦場、清水山があり、昭和2年の「坪生村郷土史」にも、
▽煙消場(えんしょうば=鶴ヶ丘北側、ゆりかご保育所あたり)――坪生要害の戦のとき、
軍器を焼いて逃げたところ
▽焼 鞘(やけさや)――同
▽井 柳(いやなぎ、神原清明氏方の屋号として残る)――矢を投げ捨てたところ
▽埋の木(うめのき、場所不明)――死体を埋めた所
などと、戦国時代のいくさの跡を物語る地名を解説しており、時代混同のままながら、
戦乱の様子を伝えてくれる。